東京近辺の モニュメント(記念碑やシンボル)の動物像

 今回は、寺や神社の境内を離れて、東京周辺で出合った街中(まちなか)や街頭の「モニュメントの動物像」を見てみました。

この稿での「モニュメントの動物像」とは、「記念の碑・像」や「建立場所や建立主旨のシンボル(象徴)となる碑・像」になった動物、および、これらの碑・像にある動物の像のことです。例えば、「忠犬ハチ公像」の犬、「楠木正成の騎馬銅像」の馬、「こひつじ公園」の羊、「競馬場門前」の馬、「平和の灯」の鳩、恵比寿にある「ゑびす像」の鯛などです。(東京近辺ではない、水牛、トビ金鵄、羽犬も載せました)

なお、街なかには、今回の「モニュメントの動物」以外にたくさんの動物像があります。古来からの店頭の信楽焼きの狸、招き猫、洋館前のライオン獅子などはもちろん、近年は、駅前広場や公園、ビルのテラス、遊歩道、緑道などに置かれた、現代アーティストによる多種多様な創作作品の中に、哺乳類をはじめ、魚、鳥、爬虫、昆虫類などの動物像があります。これらの動物像については、「動物のオブジェ、パブリックアート」と便宜的に名付けて別稿にしました。こちらもご覧ください。

モニュメントの動物像

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アヒル 『川柳の原点「誹風柳多留」発祥の地』碑のあひる
JR上野駅正面口を出て右に、上野公園入口の階段脇(形成上野駅より手前)

川柳の起源となる句集「誹風柳多留」発祥の地碑の「あひる」像。川柳250年を記念して平成27(2015)年8月に建立。句集の中の一句「羽のあるいいわけほどはあひるとぶ(誹風柳多留の編者・呉陵軒可有の作)」に因んで「「あひる」がシンボルに。

イタチ いたち川のイタチ像

横浜市栄区を流れるいたち(鼬)川。いたち川プロムナード(城山橋-大いたち橋)の「大いたち橋」付近に、シンボルの親子3基のイタチ像が川の中に配されている。

イヌ1 ハチ公1 渋谷駅前の忠犬ハチ公像(二代目)
渋谷駅西口前(ハチ公口):渋谷区道玄坂2-1

亡き主人の帰りを毎日渋谷駅前に通って待ち続けた、秋田犬「忠犬ハチ公」像。ハチ公像は渋谷駅のシンボルとなっている。初代のハチ公像は戦時中の金属回収のため供出され、現在のは2代目の像で、1948年8月に建立された 安東士(あんどうたけし)氏の制作によるもの。

イヌ2 ハチ公2 「上野英三郎博士とハチ公」像
東大農学部構内:文京区弥生1-1-1

秋田犬ハチの主人は、当時駒場(現井の頭線駒場東大前駅付近)にあった東京帝国大学農学部の教授、上野英三郎博士。博士は日頃ハチに渋谷駅まで送り迎えをさせていたが、博士は1925年5月に大学構内で急死した。その後、ハチは死ぬ(1935)まで10年間も渋谷駅に毎日通い、亡き博士を待ち続けた。
この東大農学部の像は、博士が長期出張から戻ったとき、ハチが渋谷駅の改札口で待っていて互いにじゃれあって喜んだ情景。制作:植田努 2015年

イヌ3 西郷隆盛像の愛犬ツン
上野恩賜公園:台東区上野公園5-20 

西郷隆盛と愛犬「ツン」(薩摩犬)。西郷隆盛本人の像は高村光雲、愛犬「ツン」の部分は後藤貞行の作、鋳造は岡崎雪聲。1898(明治31)年

イヌ4 犬屋敷「かこい」跡地碑の犬 
中野区役所:中野区中野4-8-1

生類憐みの令で知られる徳川綱吉が1695年に中野に設置した犬の収容施設「中野御用御屋敷」(御囲・おかこい)の跡地碑の犬像。

イヌ5 「乙女と盲導犬の像」の犬
新橋駅日比谷口・西口広場(SL広場):港区新橋2-7

盲導犬は、視覚に障害のある方の歩行を助け生活の大きな支えとなっている。2002年には盲導犬を含む身体障碍者補助犬の同伴受け入れを義務づける身障者保護法が成立。「乙女と盲導犬の像」の犬種は建立当時(1969年)活躍していたジャーマンシェパード。東京虎ノ門ライオンズクラブの建立。

イヌ6 第1次南極観測隊の樺太犬15頭
国立極地研究所 南極・北極科学館:立川市緑町10-3

第1次南極観測隊(1957~58年)に参加した15頭の樺太犬のうち奇跡的に生還できたのはタロ・ジロの2頭だけだった。これらの樺太犬15頭を記念する像が東京タワー下に1959年に設置された。像は、渋谷駅前の忠犬ハチ公像を手掛けた安藤士氏の作。2013年に、この樺太犬の記念像は東京タワー下から移転させられて、現在は立川市の国立極地研究所にある。

イヌ7 セラピー犬、名犬チロリ記念碑
築地川銀座公園:東京都中央区築地1-13-20

チロリは、日本の動物介在療法のセラピードッグ認定1号犬。チロリは子犬と共に捨てられたが殺処分直前に救われ、高齢者や障碍者を癒すセラピードッグとして多大の貢献をした。2006.3.16 永眠。

ウマ1 横浜市「馬車道」の馬 
横浜市中区本町四丁目交差点

幕末、横浜が開港され関内近辺は外国人の居住地となり、西洋的異文化が目にされた。広い道路が整備され、外国人の馬車が行き交い、また、明治2年には乗合馬車が開通しその発着所も設けられた。道路わきには牛馬の飲水場も設けられていた。ガス灯、街路樹、レンガ敷き。通りは、「馬車道」と呼ばれるようになったという。現在、小ぶりではあるがこの馬像をはじめ、馬のレリーフなどもあり、しゃれた通りになっている。

ウマ2 目黒競馬場跡碑の馬
目黒区目黒4-11 目黒通り、東急バス「元競馬場前」交差点付近

明治40年(1907)この地に目黒競馬場が開設され、昭和8年(1933)府中市に移転するまでここで競馬が開催された。昭和7年(1932)に第1回日本ダービーが開催された記念の場所。馬像は第1回ダービーの優勝馬「トウヌルソヌ」号。馬は池田勇八作。1983年建立、第50回ダービー記念。

ウマ3 東京競馬場の「黄金の馬(アハルテケ)」
東京競馬場(府中競馬場)正面口:府中市日吉町1-1 

馬像は、約3000年の昔中央アジアの砂漠を駆け抜ける黄金の馬「アハルテケ」。金色に輝く毛並みを持ち、大胆で忍耐強く、流麗な走りを見せる馬。東京競馬場のシンボル。平成18年10月建立

ウマ4 馬喰横山駅名由来の馬
都営地下鉄新宿線「馬喰横山(ばくろうよこやま)駅」:中央区日本橋横山町4-13

駅名は由緒ある馬喰町と横山町の二つの地名を合わせてたもの。馬喰、博労は伯楽を本字とするが、馬医、牧人、馬商などの総呼で、この駅の辺りは馬に関係する家業の人々が始めた町だった。これに因んで馬像が駅名の由来案内と共に駅構内に置かれている。

ウマ5 「馬事公苑」入り口の馬
馬事公苑:世田谷区上用賀2-1-1

馬事公苑は、日本中央競馬会(JRA) が運営する馬事普及の拠点。入り口の苑名表札の上にシンボルの馬の像が載っている。JRA馬事公苑は、東京2020オリンピック・パラリンピックの馬術競技の開催会場。

ウマ6 「高田馬場の流鏑馬」記念の馬 穴八幡神社入口
穴八幡神社:新宿区西早稲田2-1-11

八代将軍徳川吉宗が、享保13年(1728)、世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬(やぶさめ)が、「高田馬場での流鏑馬」の起源。以降何度か中断したが、昭和54(1979)年からは毎年10月10日に都立戸山公園で高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。神社入口に「高田馬場の流鏑馬」案内板、大鳥居の左手内側の上方に流鏑馬の像。

ウマ7 楠木正成像の馬 皇居外苑
千代田区皇居外苑 

楠木正成は忠臣の誉れ高い鎌倉時代末期の武将。この楠木正成(楠公)像は、住友家が伊予別子銅山開坑200年を記念して東京美術学校に依頼し、別子銅を用いて作像、明治30年(1897)1月に献納したもの。高村光雲は頭部を、山田鬼斎と石川光明が身体・甲冑部などを、後藤貞行が馬の製作を担当した。

ウマ8 太田道灌像の馬
日暮里駅東口ロータリー:荒川区西日暮里2-19

太田道灌(1432-1486)は室町時代の武将、長禄元年(1457)に江戸城を築城。日暮里辺りは道灌とのゆかりの地で「道灌山通り」の地名もある。鷹狩りなどでも訪れていたようで、像は鷹狩り姿の騎馬像で、台座には鷹狩りの際、道灌が和歌に目覚める動機になったとされる「山吹の一枝」伝説が書かれている。像の作者は北村西望の弟子である橋本活道。設置:1989年12月

ウマ9 世界連邦平和像の「平和の女神」の馬 三鷹駅北口
JR三鷹駅北口ロータリー:武蔵野市中町

この「世界連邦平和像」は北村西望作。武蔵野市世界連邦宣言10周年を記念して1969年に建立された。女神が左手に平和の聖火を掲げ裸身で駿馬に乗る。台座には世界各地の石がはめ込まれている。

オオカミ1 ローマ神話の牝狼1 
日比谷公園:千代田区日比谷公園1

ローマ建国神話の牝狼像「ルーパロマーナ」。昭和13(1938)年にイタリアから東京市に寄贈されたもの(時代背景:日独伊三国同盟のころ)。建国神話の英雄、ロムルス、レムス兄弟に乳を飲ませる雌狼像。ローマ市のシンボルとされ、原像は、ローマ市のカピトリーノ美術館に収蔵されている。

オオカミ2 ローマ神話の牝狼2
東京スタジアム:調布市西町376-3

ローマ建国神話の雌狼像「カピトリーノ雌狼像」。東京都・ローマ市友好都市提携5周年及び日本における「イタリア2001年」を記念して、2001年1月にローマ市から東京都に寄贈されたもの。前項の日比谷公園の狼像と同じ像で、原像はローマ市のカピトリーノ美術館に収蔵されている。

カメ1(架空)亀戸の羽亀噴水
亀戸駅前公園:江東区亀戸2-21(駅前交番の裏)

江東区「亀戸(かめいど)」の地名に因んだ亀。六角形(亀甲模様)の池の中の六角形の台座にのる「親・子・孫の3段重ねの羽亀」噴水。羽亀は、亀戸の飛躍、飛翔を願ってのこと。作者:「HANEKAME」1992 tetsuya MATSUMOTO(松本哲哉)。江東の四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)の玄武ともされている。

カメ2 亀有の亀
香取神社入口:葛飾区亀有3-42-24

葛飾区「亀有(かめあり)」の地名に因む亀。地区の鎮守の香取神社入口の鳥居の前にある。万延元年(1860)建立の旧社殿の棟瓦(亀形瓦)を模したもの。2009年1月建立。

カラス(架空)ヤタガラス 烏山信用金庫氏家支店の八咫烏
烏山信用金庫氏家支店:栃木県さくら市卯の里3丁目30-1

烏山信用金庫氏家支店の社屋の前に、社名の「烏山」に因んだシンボルとして三本足の八咫烏の像が置かれている。八咫烏(やたがらす)は、太陽に棲み、太陽の象徴とされている。聖武天皇が熊野の山を越え大和へ征く際に、天照大御神から道案内として授けられ、熊野神の神使とされた。中国の金烏伝説などから三本足の烏とされる。

キリン1(架空)日本橋の麒麟
日本橋:中央区日本橋1丁目-日本橋室町1丁目

現在の日本橋は、東京市によって明治44(1911)年4月3日に架け替えられた石造二連アーチの橋で、西洋的デザインが主体の橋だが、獅子や麒麟など日本的モチーフも配されている。橋の装飾は、東京美術学校に委嘱され、装飾主任は同校の津田信夫で、獅子と麒麟の原型の作製は渡辺長男が、その鋳造は岡崎雪聲が担当した。麒麟像は、街路燈の装飾物として橋の中央にあり、東京の繁栄を祈念したもの。麒麟は想像上の神獣で像例も少ない中で、「日本の道路の基点である日本橋から全国各地に飛び立つ姿にしたい」と、他では例を見ない、羽のような背びれをもつ麒麟像になったという。

キリン2(架空)漢方の王様「麒麟」
津村順天堂の旧社屋:中央区日本橋 3丁目4-10(日本橋三丁目交差点角)

中将蕩やバスクリンなど漢方で知られる津村順天堂が、中将蕩ビルを現在のビルに建て替えた翌年の1989(昭和64)年4月に「麒麟の像」は設置された。麒麟は漢方の王様と言われる。6mを超える背高の鍛金彫刻のキリン像で、王冠を被り、頭部は照明器具の役をする。作者は安藤泉氏。(現在は 漢方のツムラは移転し、スターツが入る)

クジラ1 日本橋人形町の「鯨と海と人形町の碑」
中央区日本橋人形町1-6 路上

(案内板) 人形町一帯は寛永10年(1633)頃から江戸歌舞伎や人形浄瑠璃のあやつり人形などの小屋が集まり、江戸庶民の芝居見物が盛んで、それに伴い、人形師や雛人形・手遊物を商う店も多かった。あやつり人形(文楽人形)の首の動きを精妙に操るのには「鯨のヒゲ」が欠かせない。正式に「人形町」の地名になったのは昭和8(1933)年。作 松橋博 中田浩祠 2002年7月

クジラ2 国立科学博物館のシロナガスクジラ
台東区上野公園7-20(上野公園内)

シロナガスクジラは現在地球上に生息する最大の動物で、その実物大の模型が国立科学博物館の前に置かれて、博物館のシンボルとされている。体長30m、体重150トの巨体で、海面での深呼吸を終えて急速に深く潜ろうとしているところ。最初に製作された1994年以降、模型としての精度を上げ、現在は3代目。クジラの「像」というよりは「標本・模型」に近い。写真左下の人の背丈と比べるといかに巨大な像かわかります。

クマ 足柄山の金太郎とクマ

箱根の古期外輪山の足柄峠や金時山の周辺には「金太郎伝説」がある。金太郎は、足柄山中で、山姥(やまんば)と赤竜との間に生まれ、全身赤く、怪力の主で、熊・猿などの動物を友とし、腹掛けをして、まさかりを担いで熊に乗ったりして育ったとされる。長じて、金太郎は源頼光に見い出され、頼光の家来になって坂田公時(さかたのきんとき)と呼ばれ、頼光四天王の一人として、大江山の酒天童子征伐などに活躍したとされる。

クマ1 足柄山の金太郎とクマ1
大雄山駅:神奈川県南足柄市関本592-1

小田原駅発の伊豆箱根鉄道大雄山線の終点「大雄山駅」の駅舎の左手に猿、兎、狸と共に「熊にまたがる足柄山の金太郎」の像がある。大雄山駅は金時山や足柄方面への拠点。

クマ2 足柄山の金太郎とクマ2
足柄大橋:神奈川県足柄上郡大井町~開成町

足利大橋は東名高速の大井松田インターチェンジと南足柄市とを結ぶ道路が、酒匂川を渡る橋梁で、橋長674mの長大橋。小田急線新松田駅(JR御殿場線松田駅)より約1km。橋の東西の親柱に金太郎と動物の像(熊に乗る像は東)が載っていて、橋のシンボルとなっている。

コイ  佐久平駅の佐久鯉
佐久平駅:長野県佐久市佐久平駅東1-1 上越・長野新幹線・JR小海線の駅

佐久平駅のシンボルの佐久鯉:構内1Fに設けられた池に、2匹の黒御影の鯉の彫像がある。佐久鯉は、信州佐久平で江戸時代から養殖されてきて佐久の名産品として世に知られる。滋養強壮に良いとして、あらい(刺身)、うま煮、鯉こく、甘露煮などとして食される。

ゴジラ(架空) 東宝映画のゴジラ
TOHOシネマズシャンテ前:千代田区有楽町1-2-2

東宝映画の「ゴジラ」シリーズのゴジラ。第1作は1954年公開。「ゴジラ」の名前は「ゴリラ」と「クジラ」の混合合体。怪獣の代名詞的存在。
この写真のゴジラ像は、2018年3月に日比谷シャンテ前の広場が、「日比谷ゴジラスクエア」として一新された際に、広場内に設置されたもの。2016年公開の映画「シン・ゴジラ」に登場する「新ゴジラ」をベースとした像で、高さは3m(台座0.5mを含む)もある。旧ゴジラに比べ、恐竜色が強くなっている。

ゴリラ1 調布市ターザン児童遊園のゴリラ
調布市下石原2-54-2

「ターザン児童遊園」の園名に因んだシンボルの彫金のゴリラ像。「ターザン」は、米国のE.バローズの小説の主人公。アフリカのジャングルで類人猿に育てられて成長した英国貴族の息子のターザンが、ジャングルを荒らす文明人と戦いジャングルの平和を守るというもの。数十本も映画化され、主演俳優は変わったが、6代目のジョニー・ワイズミュラーが有名。公園に来ているお母さん達の中にターザン映画見たことある人いるのかなあ。「なぜここにゴリラ像があるのかしら?」

ゴリラ2 時計を曲げる高架下の巨大ゴリラ
川口市「ゴリラ公園」:川口市芝4341

「ゴリラ公園」の園名に因んだシンボルのゴリラ像。東京外環自動車道の外環浦和IC近くの高架下の公園で、京浜東北線と交差する地点にある。高架の天井に届くほど巨大なゴリラ像が時計を曲げて吠え立っている。この公園には、本格的な自転車のモトクロスのコースがあって来園者が自分の自転車で走ることが出来る。ゴリラは、タイムが気に入らなくて怒っているのかな。

サル さる寺「松源寺」の猿
松源寺:中野区上高田1-27-3

売り飛ばされるところを松源寺の住職に助けられた猿が、隅田川の渡しで法要に行く住職の法衣を引っ張って舟に乗せなかった。出て行った舟は川沖で転覆して多くの人が溺れ死んだ。「猿は住職を渡し舟の災難から救って恩返しをした」と評判になり、寺は「さる寺」と呼ばれるようになった。その後、寺は現在の場所に移ったが、門前に、「さる寺」と彫った台石に猿の石像を載せた碑が建てられている。

シラサギ 船堀地区の白鷺記念
都営地下鉄新宿線船堀駅南口:江戸川区船堀3-6

かつてこの地は白鷺が群れ交うのどかな田園地帯だった。寄り添う雌雄の白鷺像は信頼と愛情をあらわしている。新しい生命を育みながら人間性ゆたかな未来を希って。昭和58(1983)年12月22日

スイギュウ 「西表島と由布島を結ぶ水牛車」の水牛
由布島:沖縄県八重山郡竹富町字古見687番地

沖縄観光に際して、西表島(いりおもてじま)と由布島(ゆぶじま)を結ぶ水牛車は観光の目玉になっている。島内に水牛のオ像が5-6体ある。

ゾウ ゾウの「はな子」の記念碑
吉祥寺駅北口ロータリー:武蔵野市吉祥寺南町

ゾウの「はな子」は2歳半のとき(1949年)にタイ国より日本(上野動物園)に寄贈された雌のインド象。大変な人気もので、移動動物園で日本各地を訪れたりした。1954年に武蔵野市の井の頭自然文化園に移されて、以来ここで62年間も飼育され、2016年5月26日に69歳(国内最年長)で生涯を閉じた。吉祥寺北口にあるゾウの「はな子」の記念像は2017年5月建立。

タイ 「ゑびす像」の抱える鯛
恵比寿駅西口:渋谷区恵比寿南一丁目

現在の渋谷区恵比寿近辺には、七福神の恵比寿さまに由来する商標をつけた「ヱビス・ゑびす・YEBISU ビール」を製造販売する日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)の工場(現恵比寿ガーデンプレイス)があって、明治34(1901)年にビールの出荷専用の貨物駅が造られ、やがて隣接する山手線の旅客駅とも一体化して「恵比寿駅」と呼ばれるようになった。工場や駅周辺の地名も「下渋谷」から「恵比寿」と呼ばれるようになった。恵比寿駅西口駅前に、恵比寿のシンボルとして、大きな鯛を抱えた「ゑびす像」がある。制作者:大下繁 昭和50(1975)年11月16日 東京恵比寿ライオンズクラブ創立10年周記念

タツミ(架空)「辰巳駅」の辰と巳(龍と蛇)
京メトロ 有楽町線「辰己駅」:江東区辰巳1-1-44

辰己駅の駅名に因んで置かれた、辰(龍・竜)と巳(蛇)の像。「辰」像は辰己駅前(辰巳1丁目)にあり、「巳」像は通りを越えた「辰己の森緑道公園内(辰巳2丁目)にある。「辰」は、小さな玉石をびっしりと積み重ねて作られていて目は大きく光を反射している、癒し系の辰。「巳」は、円錐状の山の頂上部分に頭部があり身体は円錐にとぐろ巻きになっている。

トビ(架空) キンシ(金鵄) 近鉄大和八木駅前の金鵄
近鉄大和八木駅北口: 橿原市内膳町5-1-2

奈良県橿原市の近鉄大和八木駅北口に、「建国文化都市」と書かれた柱上に金色の鳥がとまった碑がある。この鳥は、日本書紀に載る「金鵄(キンシ)」と呼ばれる「金色のトビ」。東征に際して、神武天皇が苦戦していると金鵄が飛来して天皇の弓先にとまり、敵兵の目をくらませて援けてくれた。その後、神武天皇は大和を平定し、橿原(カシハラ)で初代天皇として即位されたと伝わる。金鵄は、橿原市の市章(マーク)にもデザインされて、雄飛と平和を象徴している。

トラ 「虎ノ門」の地名に因んだ虎
港区虎ノ門一丁目交差点横断歩道脇

江戸城にあった門のうち「寅(とら)」の方角(東北東)に当たる門が当地にあったとことから「虎ノ門」の地名がうまれた。「虎ノ門」の名に因んで小ぶりではあるが虎の像が虎ノ門一丁目交差点に置かれている。地元の「虎ノ門会」が、町名が今入町から虎ノ門に改称されて3周年目の昭和27年(1952)9月に建てた。(碑文は磨滅)

ナマズ 東池袋「なまず広場」の鯰
なまず広場:豊島区東池袋5-43-1 (第10辻広場)

「なまず広場」は住宅地の中にある小さなポケットパーク。防災貯水槽にもなっているミニ防災拠点。シンボルの御影石のナマズ像がある。ナマズは地震を事前に感知するという。生き物たちの環境の変化に対する敏感さを学んで防災の備えとしよう。

ネコ 萩原朔太郎の「蒼猫」のネコ/「花子と太郎」像
品川区大井1-7 付近

詩人、萩原朔太郎が大正14年頃、大井町に住んでいたことに因んだ記念碑。昭和48(1973)年に立会川を蓋(ふた)がけして上部を児童遊園地にした際、朔太郎の代表的な詩集「蒼猫」をモチーフとして、この「花子と太郎」像は作成、設置された。

ハイヌ(架空) 羽犬塚の羽犬
羽犬塚:福岡県筑後市

福岡県筑後市に「羽犬塚(はいぬづか)」という地名があり、JR鹿児島本線の駅名にもなっている。「羽犬」は豊臣秀吉の九州遠征にまつわる伝説の犬で、死んだ羽犬の塚が当地の宗岳寺にあるとされることから、地名の由来にもなっている。市内のあちこちに羽犬像が建てられ、当地のシンボルとされて、ご当地キャラクターの役割も担っている。写真は、左から、①羽犬塚小学校正門前 ②JR鹿児島本線「羽犬塚」駅前 ➂市内の山の井交差点 の羽犬像。

ハト1 「平和の灯」の鳩
新宿区役所正面入口:新宿区歌舞伎町1丁目4−1

新宿区は、核兵器の廃絶と世界の恒久平和を祈念して、この「平和の灯」を設置。絶えることなく燃え続けている、平和の「灯」は、広島市平和記念公園の「平和の灯」と長崎市平和公園の「誓いの火」を合わせたもの。平和のシンボルとされるハトの像が配されている。 昭和63(1988)年。

ハト2 「鳩ポッポの歌碑」の鳩
浅草寺境内:台東区浅草2-3-1

浅草寺の五重塔の近くに「鳩ポッポの歌碑」がある。広く親しまれている童謡「鳩ポッポ」は、東くめ作詞、滝廉太郎作曲によるものだが、浅草寺境内で鳩と戯れる子供の様子からつくられたという。歌碑には楽譜や碑文に添えてハトの像もある。昭和37(1962)年建立。

ヒツジ 「こひつじ公園」の羊「かたらい」
こひつじ公園:練馬区光が丘5-4-1

こひつじ公園は、光が丘団地の中にある小さな公園。園名に因んでシンボルのヒツジの親子像「かたらい」がある。東京都文化のデザイン事業に基づくもので、1985年 分部順治 作

フグ 「ふぐ供養碑」のふぐ
不忍池弁天堂:台東区上野公園2-1

大きなフグ(ふぐ・河豚)の石像には驚かされる。東京ふぐ料理連盟の建立で、今日、安全なふぐ料理の提供に至った歴史と、幾千万のふぐの霊に感謝を捧げ、今後の「ふぐ料理の安全提供」を祈念したもの。昭和49(1974)年9月建立。

フクロウ1 校歌に因んだ「森の賢者」
荒川区立第一日暮里小学校門前:荒川区西日暮里3-7-15

校門の前右手にふくろうの像がある。校歌の一節「諏訪の森」に因んで、「森の賢者・知者」として置かれ、学校のシンボルとされている。第一日暮里小学校100周年記念(1985年11月)に建立されたもので、飯田雅光氏の作。なお、ふくろう像の前下の石碑「正直親切」は当校卒業生の高村光太郎直筆。

フクロウ2 「池袋駅」の「いけふくろう」
池袋駅の「いけふくろう」:JR池袋駅北改札を出て東口(地下通路内

池袋駅での待ち合わせ場所として知られる「いけふくろう」像。JR池袋駅の北改札を出て右手にある「チェリーロード(地下通路)」を通って「東口」のすぐ手前。北改札をでた所とチェリーロード入口の頭上に案内がある。この「ふくろう像」は、池袋駅が、待ち合わせ場所の目印として、池袋という地名にあやかって、栃木県の石材会社の制作で昭和29(1954)年9月に設置したもの。)

フクロウ3 池袋の「梟の樹」のふくろう
元池袋史跡公園:西池袋1-9-12(池袋駅西口)

池袋地区はフクロウだらけで、前項の池袋駅の「いけふくろう」をはじめ、公園や街頭など様々なところにふくろう像がたくさんある。これは、池袋の地名にあやかった語呂合わせがイケ・フクロウだからとか、かつてはさまざまなフクロウが生息していた土地だったから、豊島区の形はフクロウが羽を広げているようにに見えるから、などといったことから、フクロウが地区のシンボルとされていることによる。「梟の樹を創る会」などがふくろう像の増殖活動をしている。

元池袋史跡公園は、池袋の地名由来の池「丸池(袋池)」の模擬遺跡もあり、「梟の樹」やふくろうの絵タイルなどたくさんのフクロウに埋め尽くされ、「ふくろうの樹公園」とも呼ばれる。「梟の樹」には、かつてこの地に生息していたとされる、多種類のふくろうが並ぶ。平成14(2002)年2月20日設置。

ブタ 「ブレーメンの豚飼い」
東急東横線元住吉駅西口ブレーメン通り商店街 川崎信用金庫住吉支店前

「豚飼いの像」は、当商店街と友好関係にあるドイツ・ブレーメン市のロイド・パサージュに面したセーゲ通りに設置されているもののレプリカ(複製)。ドイツでは、豚は子孫繁栄で幸運に恵まれお金持ちになれる大変縁起の良い動物とされている。平成25(2013)年7月 (案内板より)

ペンギン 「Suicaのペンギン像」・ペンギン広場
ペンギン広場:新宿駅新南口 (バスタ新宿に隣接)

SuicaはJR東日本のプリペイド式IC乗車券として2001年11月18日にサービスを開始した。その時、記念式典が開催されたのが新宿駅。Suicaは「Super Urban Intelligent Card」の頭文字。ペンギンがイメージキャラクターとされ、「Suicaのペンギン」と呼ばれているが、デザインは「さかざきちはる(坂崎千春)」氏による。アデリーペンギンがモデル。このペンギン像のある「Suicaのペンギン広場」が新宿駅新南口改札近くに、2016年7月16日にオープンした。

マネキネコ 「猫飛・ニャンピーの恩返し」
西武池袋線「中村橋駅」:練馬区中村北4-2-1 駅前商店街

中村橋の飛猫伝説:川で溺れかけた猫を助けて、家で「猫飛・にゃんぴー」と名付けて飼っていたが突然いなくなってしまった。数年後、権兵衛さんが足に怪我をして働けず困っていると、ある朝、納屋の前に一枚の小判があった。まわりにあった猫の足跡から猫飛・にゃんぴーが恩返しに来てくれたとわかった。招き猫風で、小判を持った金色の猫の像がある。

ムササビ 高尾山のムササビ 像
高尾山清瀧駅前広場 八王子市高尾町

高尾山にはムササビも生息していて、夜間に観察会も行われている。高尾山登山のケーブルカー・リフトの清瀧駅前の広場にムササビの像が2体ある。

ユリカモメ「海とみやこどり」有楽町線と京葉線の接続記念
新木場駅:江東区新木場1-6

1988年に東京メトロ有楽町線と京葉線が当駅で接続された。その姿を、ケヤキ丸太の結合で表現し、日本の木工技術の伝統的接手を配した。おだやかな波間には、ゆりかもめ(みやこどり)が舞っている。「海とみやこどり」 昭和63(1988)年6月 東京新木場木材商工協同組合

ライオン1 東京都の紋章を持つ獅子
日本橋:中央区日本橋1丁目-日本橋室町1丁目

現在の日本橋は、東京市によって明治44(1911)年4月3日に架け替えられた石造二連アーチの橋で、西洋的デザインが主体の橋だが、獅子や麒麟など日本的モチーフも配されている。橋の装飾は、東京美術学校に委嘱され、装飾主任は同校の津田信夫で、獅子と麒麟の原型の作製は渡辺長男が、その鋳造は岡崎雪聲が担当した。獅子像は橋の両端の親柱に載っているが、奈良の手向山八幡宮の狛犬などを参考に獅子が造られ、加えて、イタリアのルネサンス期の「盾」を持つライオン像などから「盾」の代わりに「東京市(都)の紋章」を持つ獅子像とされたという。獅子は東京を守護する。

ライオン2 三越本店のライオン
三越本館正面玄関:中央区日本橋室町1-4-1

三越のシンボルになったライオン像。大正3年(1914)、当時、三越呉服店を率いた日比翁助氏がライオンを好み、百貨店となった三越本店に一対のライオン像を据えたのがはじまり。戦後、本店の像をもとに各支店に設置された。ライオン像の原形は、ロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像を囲むライオン。

ライオン3 「ライオンズクラブ」の「募金すると吠えるライオン」
新宿駅東口駅前広場「ライオン広場」:新宿区新宿3-38

新宿駅東口前広場「心の絆・ライオン広場」にあるライオンズクラブのライオン像。守護のためにピラミットから飛び出してきたようにも見えるが、このライオン像は募金箱の役割を担っている。ライオンの口中の投入口にお金を入れると、かなり大きな音量で吠えて「ありがとう」とお礼を言う仕掛けになっている。ライオン像は2000年4月に東京新宿ライオンズクラブ40周年記念事業として設置された。広場は近年待ち合わせ場所として知られる。

ライオン4「ライオンズクラブ」の「愛のライオン」
新橋駅日比谷口・西口広場(SL広場):港区新橋2-7

ライオン像は、1982年に東京新橋ライオンズクラブが創立25周年を記念して、身心障害者のための募金箱として新橋駅西口広場に設置したもの。シンボルのライオン像の傍らに募金投入口が置かれている。台座には「身心障害者に愛の手を」と記されている。

ロバ-イヌ・ネコ・オンドリ 「ブレーメンの音楽隊」
東急東横線元住吉駅西口駅前

元住吉駅西口に「ブレーメンの音楽隊」の像がある。駅前の通りが「ブレーメン通り商店街。以下案内板から、「グリム童話で有名な「ブレーメンの音楽隊」をもとに、1952年、ドイツ・ブレーメン市庁舎の西側に、彫刻家ゲルハルト・マルクスによってこの像が建てられた。年老いた動物たち(ロバ、イヌ・ネコ・オンドリ)が、ハンザ同盟の貿易港であるブレーメンに職を求めて向かうという物語は、当時のブレーメンの繁栄がよく伝わってくる。この像のロバの両足を両手でさわると、幸せがおとずれるという言い伝えがある。」

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東京近辺の街なかにはたくさんの動物の像があります。私の出会った動物像はほんの一部分にすぎませんが、以下の2稿に分けて掲載させていただきます。。両稿を合わせてご覧いただきたく存じます。

1. 「ニュメントの動物像」 (本稿)
       (記念やシンボル=象徴の碑像とされたり、その碑像にある動物像)
2.「動物のオブジェ」へ(リンク)
       (動物をテーマ・モチーフとしたオブジェやパブリックアートなど)