縁日に奉納された神使
神使(お使い)には必ず主筋に当る神(主神)が在り、 神使像は通常その主神(≒祭神)の近くに奉納されます。 主神は神仏いずれの場合もありますが、神使像の中には「主神の縁日」にこだわって奉納されたものもあり、それらの像に刻まれた奉納日の銘は、奉納者のこだわりと共に、主神(≒祭神)と神使(お使い)との縁を一層強く演出しています。 なお、縁日とは、神仏が降臨、示現、成仏、祭祀、霊験表示があった日など、神仏と縁のある日のことで、この日に供養や儀式を行い、他の日より多くのご利益が授かれるとして参拝したりします。
① 弁財天の蛇・龍– 縁日は己巳(つちのとみ)の日
② 月神の兎– 縁日は旧暦8月15日の十五夜の「中秋の名月」
③ 住吉大社の兎– 縁日は創建日の卯年卯月卯日
④ 不動尊の鶏– 縁日は月の二十八日
⑤ 牛頭天王の牛– 縁日は六月七日の祇園御霊会(祇園祭)
「主神の縁日」の日付にこだわって奉納された神使像をとりあげてみました。
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巳(み)の日は弁財天の日とされ、この日、弁財天の神使の白蛇をとおして祈願すると、金運・財運のご利益にあやかれるとされています。特に、60日に一度廻ってくる己巳(つちのとみ)の日は、通常の巳の日よりさらにご利益の得られる日「弁財天の縁日」とされ、弁財天を祀っている社で神事が行われます。
平成己巳年己巳月己巳日奉納の龍
竹生島 宝厳寺・都久夫須麻神社 滋賀県長浜市早崎町1664-1665
では、己巳年己巳月己巳日だったらどういうことになるのでしょうか。この日付にこだわって、奉納された龍像が、弁財天の島、琵琶湖の竹生島にあります。蛇、龍は共に弁財天の神使とされます。弁財天信仰は龍神信仰とも習合しました。竹生島の弁財天と琵琶湖の龍神は、謡曲「竹生島」にも登場します。
竹生島都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)の常行殿の下にある放生会斎庭(ほうじょうえゆにわ)に通じる石段を下ったところに石鳥居があります。鳥居の脚柱に「平成己巳歳己巳月己巳日」「奉納某氏」と銘を大きく刻んで、左右一対の龍像が奉納されています。この干支表記の奉納日は、日常の日付では「平成元年5月9日」に相当します。己巳(つちのとみ)年は60年に一度しかない年、己巳年己巳月は一生に一度あるかどうかわからない日付です。「奉納某氏」の己巳へのこだわりは、信仰心ばかりでなくこの日を逃したくない執念さえ感じられます。
次の「己巳年己巳月己巳日」は何年後になるのでしょうか。
兎は月神の神使です。月見といえば先ず、旧暦8月15日の十五夜の「中秋の名月」です。
天保癸卯年の中秋の名月に奉納された兎
沢井・八幡宮 福島県石川郡石川町沢井
波兎像が奉納されていますが、その台石には、「天保癸卯年(1843)八月十五日」と刻まれていて、「兎年の中秋の名月・十五夜・満月」にこだわって奉納されたものと判ります。月神に五穀豊穣や子孫繁栄、長寿などを願って、また、波は水ですので火防を願って奉納されたものと思われます。(兎の耳は破損)
住吉大社の御鎮座(創建)は神功皇后(じんぐうこうごう)摂政十一年(211)辛卯(かのとう)年の卯月の卯日です。この縁で、兎が住吉神(住吉神社)の神使とされています。
住吉大社 大阪市住吉区宮町7-1-2
下掲の手水舎の兎は、大社の創建年月日に因んで神使とされ、奉納された像です。
右の「翡翠(ひすい)の兎」は神兎として、「平成二十三年卯歳元旦」の日付で建立されました。社の鎮座(創建)の年、卯年にこだわって奉納されたものです。
不動尊の縁日は月の28日とされています。この日に不動尊を祀るほとんどの寺社で、神事が催され、参道に屋台もでて参拝者で賑わう寺社もあります。また、波切不動尊の総本山である高野山南院の秘仏の御開帳は毎年6月28日となっています。しかし、不動尊の縁日がなぜ月の二十八日なのかははっきりしません。
不動尊像は、迦楼羅焔(かるらえん)と呼ばれる炎を背にしていますが、この炎は、インドの伝説上の霊鳥である迦楼羅(かるら)が吐き出す火炎です。迦楼羅焔の中に鳥の姿が入っていたり、迦楼羅像の中には鶏のような鳥頭に造られたものがあり、これらに因んで鶏が不動尊の神使とされたものと思われます。
昭和37年6月28日に奉納された鶏
中野神社 青森県黒石市南中野字不動館27
本堂拝殿境内の入り口の鳥居の傍らに、迦楼羅炎のカルラに因んで不動尊の神使とされる鶏像が奉納されています。奉納日は、不動尊の縁日(月の28日)にこだわった、昭和三十七年六月二十八日(高野山南院の秘仏の御開帳月日と同じ)となっています。
疫神怨霊を鎮める祭礼である御霊会(ごりょうえ)を起源とする「祇園御霊会」は、貞観11(869)年に全国的に疫病が流行した際、その退散を祈願して牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりとされます。以後、祇園御霊会(祇園祭)は、毎年6月7日の行事とされてきました。
祇園社(八坂神社)の祭神である牛頭天王(=スサノオの命)は、印度の祇園精舎の守護神とされますが、頭に牛首を戴き憤怒の形相をしていることなどから、牛が神使とされています。
寛保3年と文化4年の6月7日(祇園御霊会の日)に奉納された牛
東金市松之郷・八坂神社 千葉県東金市東本郷松之郷1269
この社の祭神は、京都の祇園社(八坂神社)の祭神、素戔嗚尊(牛頭天王)を勧請、分祀したものです(1289)。農耕の神ともされ、「天王様」とも呼ばれて、牛が神使とされています。拝殿前と本殿前に置かれた牛の石像は2対ともめったのない江戸時代の像で、祇園御霊会(祇園祭)の日付、六月七日にこだわって奉納されています。
四足で立つ石牛の背に、拝殿前(写真上)のは「寛保三癸亥(1743) 御寶前 六月七日」、本殿前(写真下)のは「文化四年(1807)六月七日」と刻まれています。
① 善養寺の尾先照稲荷祠 東京都豊島区西巣鴨4-8-25
尾先照稲荷祠 銘: 天長二乙巳年(825)安置 薬王山 善養寺
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②増上寺境内の四菩薩像 東京都港区芝公園4-7-35
四菩薩像 案内板: 正嘉二年(1258)の作 と伝えられる。