うさぎ うさぎ うさぎ ・・・

うさぎ(兎)は、人に直接危害を及ぼさないうえ、人里近くにも棲息していたことなどから、古来、 身近で親しまれた動物でした。食用や防寒用毛皮ともされました。今年(2018)の「中秋の名月」は9月24日でした。兎(像)は、十五夜の「月の兎」をはじめ「因幡(いなば)の白兎」など様々な場面で登場します。兎にまつわる話を以下の項目に分けてみてみました。

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  • ➀ 大国主命を祀る社の兎 (因幡の白兎)
  • ② 兎を神使とする神社
  • ③ 寺と兎
  • ④ 卯年生まれを表す兎
  • ⑤ 東の方位を表す兎
  • ⑥ 月と兎
  • ⑦ 月神を祀る社の兎
  • ⑧ 童謡、童話、ことわざ の兎
  • ⑨ 十二支(動物像・図)の中の兎

 

➀ 大国主命を祀る社の兎 (因幡の白兎)

大国主命(おおくにぬしのみこと)は「だいこくさま」とも呼ばれていますが、別名、大己貴命・大穴牟遅命・オオナムチ)、大物主命などとも呼ばれます。大国主命を祀る社に、出雲神話(古事記など)の「因幡(いなば)の白兎」(下掲)に因んで、兎の像も神使として奉納されています。

1-1 因幡(いなは)の白兎  あらすじ  (出雲神話-古事記など)

因幡(イナバ)の気多の岬(鳥取市白兎海岸)に住んでいた白兎が、海に流されて淤岐島(オキノシマ)へ漂着したものの、帰れなくなってしまった。困った白兎は、出会ったワニ(海の鰐鮫)を「数較べ」だと騙して、ワニの背を跳び渡って対岸に帰ることを思いついた。白兎が数を数えながらワニの背を跳んで対岸に渡り切る直前に、騙されたと知ったワニたちは、怒って、白兎を捕まえ、その毛をむしり取って赤裸にしてしまった。

毛をむしられて赤裸の兎が痛さのあまり砂浜で泣いていると、八上比売(ヤカミヒメ)に求婚に行く途中の大国主命の兄神たち(八十神)が通りかかって、「海水でよく体を洗って、風に当たって山の上で伏せているが良い」というので、兎はいわれた通りにした。しかし、海水が乾くと皮がひび割れして、痛みは前にも増した。

しばらくして、前に通った兄神たちの荷物を持たされて、大きな袋を担いだ末弟の大穴牟遅命(オオナムチノミコト)即ち大国主命が、一人遅れて通りかかった。兎の話を聞いた大国主命は、「すぐに河口の真水で体を洗い、蒲の花粉を採って撒き、その上に寝転がって花粉を体につければ、元のように良くなる」と教えた。兎がいわれたとおりにするとやが、てすっかり元の体になった。

白兎は、大変感謝して、「八上比売(ヤカミヒメ)を娶(めと)ることの出来るのは、先に求婚に行った兄神たち(八十神)ではなくあなた様(大国主命)でしょう」と予言したが、その後その通りになった。(白兎が縁をとりもった)

(図)だいこく様とウサギ 【上】大洗磯前神社(絵馬)(茨木県大洗町磯浜町)
【下】神田明神(随神門内側)(東京都千代田区)— 鰐鮫を騙して陸に渡り終える直前に嘘がばれて、ワニに丸裸にされた兎を、大己貴命が「蒲穂に包まるとよい」と助けてやる場面

1-2 大國主命と兎             クリック⇒拡大

左から 八坂神社(京都市東山区祇園町) 出雲大社(出雲市大社町) 白兎神社(鳥取市白兎) 地主神社(京都市東山区清水)

 

1-3 大国主命を祀る神社の兎

               杉崎神社(越前市杉崎町)                                           杷木神社(朝倉市杷木池田)

 

                          淡海国玉神社(磐田市見付)                      下館・羽黒神社(筑西市大町甲)

 

1-4 閑話 因幡の白兎が跳び渡ったのはフカ(鱶)・サメ(鮫)の背

上項(1-1)のように、「因幡の白(素)兎」は、ワニをだまして並べその背を跳んで海を渡ろうとした」とありますが、このワニは、フカ(鱶)やサメ(鮫)の類のことで、いわゆる爬虫類の鰐(ワニ)ではありません。鰐鮫(ワニザメ)とか和邇(ワニ)と表記されたりもしています。なお、フカやサメをワニと呼ぶ地方もあるとのことです。

出雲大社教長崎分院(長崎市桜町8)

この社の祭神は大国主命です。大国主命が助けた「因幡の白兎」に因んで、ウサギとワニの像(下図)が奉納されています。ウサギは、左は腹這いで、右は立って、ワニの背に乗っていますが、乗っているワニはどう見ても爬虫類の鰐(ワニ)です。

 

ご参考までに、童話本の表紙の絵はいずれもフカやサメになっています。

 

② 兎を神使とする神社

上項①の大国主命を祀る社のほかにも、祭神などとの由縁で兎が神使とされている社があり、兎像が奉納されています。なお、月待信仰関連の社や月神を祀る社の兎は「⑥⑦月と兎」の項に載せました。

2-1 三尾神社(大津市円城寺町)

三尾神の出現が卯年卯月卯日卯刻で卯の方向からだったことから、兎が神使とされた。神紋は「真向きの兎」。

 

2-2 岡崎神社(京都市左京区岡崎)

岡崎神社は、平安遷都に際して都の東方守護のため建立された社で「東天王」とも呼ばれた。祭神の奇稲田姫は三女五男の子宝に恵まれた神だった。兎の多い地区だった。これらの縁で、兎(卯)は、十二支では東の方位を表すこと、また、多産なことなどから、当社の神使とされた。

 

2-3 住吉神社系

新羅遠征の帰路、神功皇后がご神託により住吉大神を祀った。「住吉大社の創建日」が辛卯年卯月卯日だったことから、兎が住吉大社(系)の神使とされた。

左から 住吉大社(大阪市住吉区)若宮住吉神社(豊中市若竹町)本住吉神社(神戸市東灘区住吉宮町)住吉神社(明石市魚住町)

 

             

  

 

2-4 宇治(莵道)の神社

莵道稚郎子(うじわきのいらつこ)が道に迷っていると、兎が、この宇治の地まで見かえりながら道案内をしてくれたという。兎が神使。宇治は兎道(うじ=うさぎみち)とも書かれた。

  宇治上神社(宇治市宇治山田)–見かえり兎          宇治神社(宇治市宇治山田) 三室戸寺(宇治市莵道滋賀谷)

               

 

2-5 鵜戸神宮(日南市大字宮浦)

鵜戸(うど)神宮の神使は兎。当神宮創建(第十代崇神天皇の御代)のころより、毎月「初の卯の日」が縁日とされてきた。主祭神、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の「鵜」が「卯」となり、「兎」に転じて、兎が神使とされたとの説もある。境内には、病気平癒・開運・飛翔などを願う「撫でうさぎ」もある。

 

③ 寺と兎

寺の縁先で読経を聴く兎  お寺の境内に兎像が単体で置かれているのを見かけることがあります。兎は寺(仏教)に縁のある動物ともいえます。

3-1 寺の境内の兎像

菊道人  兎は、また、「菊道人」」とも呼ばれたともいいます。「寺に現れては、僧侶の傍らで読経を聴き、仏前の菊花の水(供花入れの水)を好んで舐める兎がいて、菊道人と呼ばれた」と、唐時代の「清異録」に載るとのことです。

宗福寺(秩父市大畑町)           喜多院(川越市小仙波町)    永明寺(横浜市泉区岡津町)

 

東陽寺(柏市根戸) 法台寺(新座市道場) 瑞泉寺(鎌倉市二階堂) 長善寺(東京・杉並区高円寺南)

 

なお、寺(仏教)に関連するものですが、帝釈天が兎を月に昇らせた仏教説話や、勢至菩薩などを主尊とした月待ち信仰については、「⑥⑦月と兎」の項に載せました。

3-2 兎の数え方  うさぎ(兎)=う(鵜)+さぎ(鷺)=鳥?

兎は一羽、二羽、・・・と鳥のように数えられます。かつて、お寺では鳥は食べても四つ足の獣肉を食べることは禁止されていました。しかし、禁止されている筈の兎が鳥と称せられ、一羽、二羽と数えられて食用にされたといいます。兎は肉の味が鶏肉と似ているからだとか、兎は前足や後足の左右を揃えてぴょんぴょん跳ぶので鳥のようだからだとか、兎の耳は鳥の羽根に見えるからだとか、ひどいのは、兎(うさぎ)は鵜(う)と鷺(さぎ)という二羽の鳥だからなどと、こじつけられて、食べられたといわれます。また、兎を獲ったとき、両耳を合わせ持って数えたので一把、二把・・と数えたのが一羽、二羽、・・・に転化したとの説などもあります。現在は、一匹、二匹・・・と数えることも多いようです。

 

④ 卯年生まれを表す兎

生まれた年の干支で、その人の一代守本尊(生涯の守護仏)は決まっています。卯年生まれの人の守り本尊は文殊菩薩です。なぜそのように決められているかはわかりません。文殊菩薩を祀る社に、卯年生まれの人が奉納した兎像があります。

4-1 弘前天幡宮(弘前市西茂森1)

明治初頭、文殊菩薩を本尊としていた大行院が廃止になり、神道の「天満宮」になった。しかし廃寺後も、卯年生まれの一代守り本尊「文殊菩薩」の寺とされ、境内に兎像が奉納されている。津軽地方では一代守り本尊は「一代様」とも呼ばれる。

 

4-2 仙台市・文殊堂(仙台市青葉区八幡6)

ご本尊の文殊菩薩は、卯(兎)年生まれの人の一代守り本尊とされ、兎の像が奉納されている。「仙台の十二支による守り本尊」のうちの一尊。なお、仙台地方では守り本尊は卦体神(けたいがみ)とも呼ばれる。

 

 東の方位を表す兎

十二支は、干支の年を表すだけではなく、時刻、月、季節、方位、方向などにも関連付けて用いられています。十二支の卯(兎)は東の方位を表します。

霊鑑寺妙見堂(京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町)

霊鑑寺の山門手前の左脇にある妙見堂には妙見菩薩像が祀られている。昭和61年(1986)に発足した「洛陽妙見十二支めぐり」は、御所紫宸殿を中心にした12の恵方の妙見菩薩で構成されている。霊鑑寺・妙見堂の妙見菩薩は、「卯(兎)=東」の方向に位置し、東の地域および卯年の守護神とされている。このことから、祭壇の前に東方を示す、一風変わった金色の兎像が置かれている。

なお、岡崎神社(京都市左京区)は、桓武天皇延暦十三年(794)平安遷都の際、王城守護のため平安京の四方に建立された社の一つで、「東天王」と称され、東方守護の社、方除厄除の神とされてきた。東=卯(兎)の意味合いからも兎が神使とされている。(前掲2-2項参照)

 

⑥ 月と兎

「♪♪ うさぎ うさぎ なに見て跳ねる 十五夜お月さん見て跳ねる ~♪」(童謡)

うさぎは、月神の神使であり、月の象徴とも月の精ともされて、子孫繁栄、五穀豊穣など様々な願いをかなえてくれる瑞獣とされています。なお、太陽には、三本足の烏(金烏)が棲み、太陽の象徴とされ、日神の神使とされています。

6-1 月の兎  月に昇った兎の話

月に黒い兎の姿が見えるとされる由来は? 次のような、インドを起源とする仏教説話集(ジャータカ・jātaka)の一話や、それをもとにした今昔物語(第五巻第十三話「三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語」)などにあるとされます。

生前の罪で、兎、狐、猿になった三者が善行をしようと話合っているのをを聞いて、帝釈天は貧しい老人に身をやつして三匹に食物を乞うた。猿は木の実、狐は魚を採ってこれたが、特技のない兎はなにも持ってこれなかった。すると、兎は火の中に飛び込んで自分の身を老人に饗した。元の姿に戻った帝釈天は、三匹のこれらの行いに感心して来世は人間に戻すことを約束し、特に兎の献身の心がけを忘れないようにと、黒こげになった姿を永遠に月の中に留めるようにした。—この話が月の海とされるやや暗い部分(月面の模様)を兎の姿に見立てる由来とされます。

6-2 月待ち信仰について

月は満月・新月(満ち欠け)を繰り返します。これを人(生物)の生き死に(生命現象)や栄枯盛衰と重ね合わせ、更に月は一度消えても必ず復活するので、再生の繰り返し・不滅(不老不死)であるとして信仰の対象とされました。加えて、月は、月齢周期と女性の月経周期を関連づけて、生命を生み出すものともみなされ、子宝・子育て(子孫繁栄)や農耕の五穀豊穣を願う対象とされました。

そのため、特定の月齢の晩に講中で集まって月の出を拝む信仰行事(月待ち行事)が行われました。十三夜待ちから二十六夜待ちまであります。古くは月そのものがご神体とされていたとのことですが、やがて各月齢ごとに主尊が定められ、例えば、十九、二十一、二十二夜待ちは如意輪観音、二十三夜待ちは勢至菩薩、二十六夜待ちは阿弥陀如来三尊が主尊とされました。神道系では月読命が主尊とされました。勢至菩薩を主尊とする二十三夜待ちの講が特段に多く、如意輪観音を主尊とする月待ちには女性だけの女人講が多かったといわれます。

月待ちの夜は、隣近所の講中の者が集って、月に供物をしたり、飲食を共にして、月の出を待ち、夜を徹して願いや除災が祈られましたが、一方では「月見の宴」も兼ねた楽しみな会合でもありました。月待ちは必ずしも毎月ではなく旧暦の正月、五月、八月、九月が特に重視されました。各地に月待ち塔が残ります。
    上図 二十二夜月待ち塔(主尊の如意輪観音)文化八年(1811)埼玉県小川町上古寺路傍

    ■ 月で餅をつく兎

日本では、月で兎が餅を搗(つ)いているとされますが、これは、十五夜の月を望月(もちづき)ともいうことからだとする説や、月面の影がそのように見えるからだとする説など諸説あります。しかし、中国の伝承によると、月では、枯れることのない木(月桂樹)のもとで兎が不老不死の仙薬を挽いているとか、高貴な美女がヒキガエル(蟾蜍センジョ)に変えられて住んでいるとか、三本足のヒキガエル(蟾蜍センジョ)が月を食べて満ち欠け行なっている、とのことです。

6-3  中秋の名月

今年(2018)の中秋の名月は9月24日でした。古来、旧暦(陰暦)の8月15日の月をこう呼んできました。下の夜空の写真と解説は、国立天文台のHPより拝借したものです。

「中秋の名月」とは、太陰太陽暦(陰暦)の8月15日の夜に見える月のことを指します。中秋の名月は農業の行事と結びつき、「芋名月」と呼ばれることもあります。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったと言われています。今年は9月24日が中秋の名月、翌日の9月25日が満月と、中秋の名月と満月の日付が1日ずれています。なお、陰暦の9月13日の夜を「十三夜」と呼び、日本ではその夜にもお月見をする習慣があります。十三夜は、「後(のち)の月」「豆名月」「栗名月」とも呼ばれます。今年の十三夜は、10月21日です。

参考   陰暦    月の満ち欠け(月齢)が基準

現在は太陽の運行を基準とする新暦(太陽暦・グレゴリウス暦)が使われていますが、新暦に切り替わる、明治6年1月1日以前は、月(太陰)の満ち欠けを基準とした陰暦(太陰暦・旧暦)が用いられていました。
陰暦(旧暦)は、1ヶ月は29日(小の月)又は30日(大の月)で、12ヶ月で1年とされます。陰暦では1年が354日なので、年々季節(陽暦)とずれるので、19年に7回の割合で閏月(うるうづき)を設けて(年13ヶ月として)調整します。
陰暦は月の満ち欠け(月齢)を基準とします。毎月の第1日(新月1日)は、月の形が見えない朔(さく)の日(朔日)で、「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ばれます。また、毎月15日は、月齢15日目に当たり十五夜と呼ばれる満月の夜で、この夜の月を「望」といい、望月(ぼうづき・もちづき)ともいわれます。月末の29・30日は、月陰(つきこもり)または晦(つごもり)と呼ばれます。この間には、月齢などに応じて数多くの月の呼び名が付けられています。

月齢のイメージ
新月朔日(ついたち)<———————--–  十五夜・満月・望月 ————————————->月 陰(つこもり)


 

 

6-4 中秋の名月に奉納された兎

沢井 八幡神社(福島県石川郡石川町沢井)
境内に、耳がとれているのは残念だが、すばらしい「波乗り兎」像一対が奉納されている。兎は、月の象徴で子孫繁栄や豊穣などををもたらす瑞獣であり、「波乗り兎」の波は水なので火除けの守りとされる。
この「波乗り兎」像の台石には、「天保14癸卯年(1843)8月15日 奉納 角田定右衛門」と刻まれている。沢井村の村社である八幡神社に、癸卯年の8月15日(陰暦)、すなわち、兎年の中秋の十五夜(満月)にこだわって、「波乗り兎」像一対が奉納された。「月と兎」を念頭に「波乗り兎」が、奉納年月日という「趣向」を加えて奉納されている。

波乗り兎 (耳は破損) 台石の銘「天保14癸卯年8月15日奉納」

6-5 「波乗り兎」 「月の兎」

「波と兎」(波うさぎ・波にうさぎ・波乗りうさぎ)の図柄(文様)は、月と雲、梅と鶯、竹と虎、波と千鳥、雲と龍など組み合わせの決まった図柄の一つとして広く知られています。動きのある軽妙洒脱な図であり、波は水なので火防・火除けの守りとされ、月の精である兎は不老不死、子孫繁栄、豊穣をもたらす目出度い瑞獣とされました。そのため、「波と兎」は、屋根の棟瓦や、蔵の鏝絵(こてえ)、古伊万里、着物、家紋の文様など様々なところに見られます。

しかし、「波」と「兎」を組み合わせた図柄とはかなり突飛なものに思えます。「波と兎」の由来は下記の、謡曲(能)の「竹生島(ちくぶしま)」の一節にあるといわれます。謡曲「竹生島」は広く知られた曲で、謡曲(能)だけではなく、長唄、筝曲、常磐津などで庶民の間でも演じられてきました。

謡曲「竹生島」

竹生島(ちくぶしま)は滋賀県琵琶湖の中にあり日本三大弁財天の一尊を祀る島。延喜の御代のこと、竹生島の弁財天参詣にきた帝の臣下が、琵琶湖の湖畔で女と老人の乗った舟に同乗させてもらって、春の湖上を眺めながら竹生島に着きます。女と老人は人間ではなく、竹生島の弁財天と琵琶湖の龍神でした。弁財天は神徳を説き、龍神は宝珠を授けます。

「波と兎」の由来とされる一節(島へ向かう舟からの情景)

「竹生島も見えたりや 緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 月海上に浮かんでハ 兎も波を奔(カケ)るか 面白の島の景色や」

(意訳: 竹生島もまじかに見えてきましたね。緑の木々が陰影も濃く湖の中にまで映り込んでいて、湖水の中を泳いでいる魚がまるで木に登っているように見えますね。月が湖面に映えて浮かんでいるように見えるときには、きっと月の兎も湖面の波の上を駆け跳ねているのでしょうね。竹生島の景色は趣があって素晴らしいですね。)

この謡曲「竹生島」の兎は、湖面に「月と兎」を映したもので、兎は波の上を駆ける「月の兎」です。

備考  「波と兎(波に兎、波兎)」と同様の図柄の兎が、場合によっては、「月の兎」としてではなく、出雲神話の「因幡(いなば)の白兎」とされているケースも見られます。しかし、この場合、出雲神話では、「兎は、海(波の上)を渡ることが出来ないので鰐鮫を騙して対岸の浜までその背を跳び渡ろうとしが、嘘がばれて、鰐鮫に赤裸にされた」 とされるているのに、「波と兎」の図では、兎は波の上を嬉々として飛び跳ねていて、神話の筋とは異なっています。「波と兎」の図が庶民の間でも広く好まれたのは、兎が瑞獣とされる「月の兎」だからで、「因幡の白兎」だからではありません。前掲の「沢井八幡宮の波乗り兎」の奉納日が卯年の十五夜の日付けであることからも判ります。また、波と兎の図は、海面や湖面にたつ白い波頭を兎に見立てた図との説もあるようです。

波兎の図  秩父神社(秩父市) 本殿の長押の彫

 

 

6-6  ウサギと童子「桂の影」  卯月を待つ

山崎朝雲作-「桂の影」彫像(長崎市中央区天神付近路傍)
タイトルの桂の影は月の光をいう。童子は右手に兎を抱え左手で卯月(旧暦の四月=新春・春・節分)を指折り数えて待っている。


 

月神を祀る社の兎

勢至菩薩(月天子)をはじめ月待講の主尊や、神道系の月神である月読命を祀る神社は、「月待信仰の社」として信じられました。兎は、月の象徴、月の精、月神の神使とされて、「兎の像」も奉納されました。

7-1 勢至菩薩を祀る社の兎

7-1-1 調神社(さいたま市浦和区岸町)

「調神社」の「調」は「ツキ」と読む。「つきのみや」とも呼ばれる。平安時代編纂の「延喜式」に載る格式の高い古社で、伊勢神宮への調物(献納品)の倉庫群の中に鎮座した。祭神は、伊勢神宮と同じく、天照大神、豊宇気姫命、素戔鳴尊の三柱を祀る。江戸期に入って、「調」と「月」が共に「つき」と読むことや、別当寺だった「月山寺」が勢至菩薩(月天子)を本尊としていたことなどから「月待ち信仰」に結びついた。月の兎がこの社の神使とされるようになった。享保18年(1733)に本殿として建立された社殿(旧本殿)が稲荷社として残るが、そこには各所に兎の彫刻がみられ月待信仰との拘わりを物語っている。

境内入り口の左右に、子連れ兎像が上げられている。この兎像は、明治初頭の廃仏稀釈で廃寺となった「月山寺」の門前にあったもので、昭和の初めにここに置かれたという。(現在は新兎像と入れ替わっている)

稲荷社の脇障子     入り口の兎像(旧)-万延2年(1861)       拝殿前右手

 

 

7-1-2 堀之内 妙法寺「二十三夜堂」(東京都杉並区堀ノ内3)

この寺の「二十三夜堂」は、二十三夜様(二十三夜大月天王)をお祀りしている堂で、月齢が二十三日の夜、月待ちをして祈れば願い事が叶うと信仰される。主尊の二十三夜大月天王は、「月天子」と呼ばれる十二天の中の一尊で、月やその光明を神格化した神で、勢至菩薩の化身とされる。元来インドのバラモン教の神だったのが仏教にとり入れられ、仏教の守護神となったという。

 

7-1-3 月輪勢至堂(埼玉県比企郡滑川町大字月輪)(隣接する福正寺管轄)

祭神は勢至菩薩、二十三夜月待ち信仰の主尊。案内板によると、「堂内の須弥檀の四方には勢至菩薩にお仕えする卯の彫刻が施され、郷の人は兎を食べないといわれ、縁日には精進して信仰すると伝えられる」とある。創建は建久7年(1196)、兎像は平成17年(2005)奉納、福うさぎと呼ばれる。

 

7-2 月読命(月神)を祀る神社の兎

神話の世界(古事記・日本書紀・出雲神話など)の中で天照大神は太陽神、月読命は月神とされます。太陽を象徴するのは三本足の烏、月を象徴するのは兎。月神(月読命)を祀る社に兎像が奉納去れている神社があります。

7-2-1 出羽・月山本宮「御田原参籠所」(鶴岡市羽黒町手向字手向7)

山形県にある月山は、羽黒山、湯殿山と共に「出羽三山」と呼ばれるが、出羽三山は古くから山岳修験の山として知られる。月山の山頂(1984m)には月山本宮があり、月山権現(現・月読命)を祀る。月山八合目の御田ケ原参籠所に月山本宮の鳥居があるが、この前に単体だが大きな兎の石像があり、月山山頂の月山本宮を見上げている。兎は、月山本宮の祭神、月山権現(月読命)の神使であり、「月」を象徴しているものと思われる。なお、羽黒山の羽黒権現(現・稲倉魂命)のお遣いは三本足の烏とされ、太陽を象徴している。

 

7-2-2 田主丸・月読神社(久留米市田主丸町田主丸)

祭神は月読命。月読命[月神)の神使である兎が、鳥居の両脇にある石灯篭の屋上に置かれている。

 

7-3  月神への奉納・祈願の兎

身近な神社の’境内に、日頃の感謝の気持や、五穀豊穣、子孫繁栄 家内安全 無病息災などの願いを、月の瑞獣である兎に託して奉納されたと思われる兎の像もあります。(祭神は月神ではない)

高木神社

単体の兎像の奉納  五穀豊穣 子孫繁栄 家内安全 無病息災 長寿などを願って?

(左)上津野・高木神社(福岡県田川郡添田町)   (中・右)下津野・高木神社(福岡県田川郡添田町)

 

 

⑧ 兎の 童謡、童話、ことわざの例

兎は、童謡、童話、ことわざにも登場します。以下はその一例です。

8-1 兎が歌詞にある日本の「童謡唱歌」の例

■ うさぎ   うさぎ うさぎ なに見てはねる 十五夜お月さま 見てはねる

■ 大黒様 だいこくさま  大きなふくろを かたにかけ 大黒さまが 来かかると ここにいなばの 白うさぎ 皮をむかれて あかはだか

■ 待ちぼうけ  待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと 野良稼ぎ そこに兔がとんで出て ころりころげた 木のねっこ

■ 兎のダンス  ソソラ ソラ ソラ うさぎのダンス タラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタラ

■ うさぎとかめ  もしもし かめよ かめさんよ せかいのうちで おまえほど あゆみの のろい ものはない どうして そんなに のろいのか  なんと おっしゃる うさぎさん そんなら おまえと かけくらべ むこうの おやまの ふもとまで どちらが さきに かけつくか

うさぎとかめ

明月院(鎌倉市山ノ内)

あじさい寺としても知られる「明月院」だが、その院名からの連想(月⇒兎)で、ごく近年になって境内のあちこちに兎の像が置かれるようになった。

 

8-2 兎が登場する「童話」の例

■ いなばのしろうさぎ(日本神話)

■ ウサギとカメ(イソップ寓話) かけくらべ

■ かちかち山(日本昔話)

お婆さんを殺した悪狸を、兎がやっつけて仇討ちをするという昔話。兎は、薪拾いに誘って、狸が背負う薪にカチカチと火打石で火をつけて大やけどを負わせ、その傷口に辛子を塗り、さらに漁に誘って、自分は木の小舟に乗り、狸を(すぐ溶けてしまう)泥舟に乗らせて溺れ死にさせる。

昔話カチカチ山の舞台「天上山」、うさぎ神社もある。カチカチ山ロープウェイ 河口湖畔駅(山梨県富士河口湖町)

 

8-3 兎が入った「ことわざ・慣用句・故事成語・四字熟語」の例

■ 二兎を追う者は一兎を得ず  二羽の兎を同時に捕まえようとしても、結局はどちらもにも逃げられてしまう。同時に二つの事は成し遂げられないという戒め。

■ 始めは処女の如く後は脱兎の如し  始めは弱々しくよそおって油断させ、後に思いがけない素早さで行動(攻撃)する。(孫子の兵法)「脱兎」とは、逃げていく兎のことで、非常に速いもののたとえ。

■ 兎角亀毛  兎(うさぎ)の角や亀の毛のように本来ないものの意から、あり得ない物事のたとえ。

■ 烏兎匆匆(うとそうそう)  中国の伝説では、太陽には三本足の烏(カラス・金烏)が棲み、月には兎が棲むとされることから、「烏兎」は歳月(月日)の意に用いられる。「匆匆」は急ぐさま、慌ただしいさまをいう。月日の経つのが慌ただしく早いさま。

三本足の烏:出羽・羽黒山三神合祭殿 兎:出羽・月山本宮「御田原参籠所」 (鶴岡市羽黒町手向)

 

⑨ 十二支(動物像・図)の中の兎

十二支の「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」はわかり易く動物で表現され、日本では「鼠牛虎兎龍蛇馬羊猿鶏犬猪」とされています。十二支は、干支の年を表すだけではなく、時刻、月、季節、方位、方向などにも関連付けて用いられます。像、彫刻、画図などとして十二支の動物が一ヶ所に並べられている場合も多く、この中から「兎」をピックアップしました。        図:クリック⇒拡大

十二支の中の兎 左上から右下へ

上檀:➀虚空蔵尊大満寺 仙台市太白区 ②銀座地下歩道 東京都中央区銀座 ③小倉神社 京都府大山崎町 ④成田山新勝寺「表参道開運通り」成田市 ⑤沙沙貴神社 滋賀県安土町 ⑥盛岡八幡宮「青銅燈籠」盛岡市

 

下段:⑦妙法寺「毘沙門天像台石」富士市今井 ⑧鳳来寺「参道道標」新城市門谷 ⑨喜多院「五百羅漢場」川越市 ⑩高尾山薬王院「十二神将方位塔」八王子市 ⑪武蔵野稲荷神社「随神門」東京都練馬区 ⑫平城宮跡・大極殿「内部上壁面」奈良市