戦国時代-江戸時代初頭に、狩野派などによって描かれた屏風絵や襖絵、障壁画などの「虎図」には、複数の虎の中に、豹の姿がみられます。 これは、 虎や豹の実物を見たこともない中で、 当時の常識として、「豹は雌の虎」と考えられていたことによるもので、豹は、雌虎や母虎として描かれたものです。
この例は、下掲の①秩父神社と②日光東照宮の建造物の彫刻にもみられます。1600年前後に建造されたものです。
徳川家康は寅年生まれとのことから、家康と縁のあるこれら二社の建造物には虎の彫刻が数多く施されています。虎と共に豹の姿(豹柄の虎)もありますが、「豹は雌の虎」として彫られたものです。
① 秩父神社 拝殿正面の虎 ・・・ 「子虎と戯れる豹(母虎)」
埼玉県秩父市番場町1-3
現在の秩父神社社殿は、甲斐の武田信玄の手により焼失(永禄十二年・1569)した後、天正二十年(1592)に徳川家康の力で再建されたものです。なお、昭和四十五年(1970)に解体復元されました。
「子宝・子育ての虎」
家康の寅年生まれに因んで、拝殿正面には四面にわたって虎の彫り物が施されています。このうち、特に、「子宝・子育ての虎」と呼ばれている、左から二番目の「子虎と戯れる親虎」の彫刻は、名工左甚五郎の作と伝えられます。
子虎と戯れる豹(母虎)
当時、豹は雌の虎とされていたので、子虎と戯れる母虎の姿が豹として描かれているのが特徴的です。
天正二十年(1592) 左甚五郎作
② 日光東照宮 表門の豹と虎 ・・・ 「雌雄一対の虎」
栃木県日光市山内2301
東照宮表門の虎
徳川家康を祀る日光東照宮の表門にも、家康の干支が寅年であることから、虎の彫刻が幾つも施されています。 寛永12年(1635)の建立。
表門内陣の梁上の豹と虎
表門の内陣の梁上には、右の虎の対として左に豹が彫られています。当時は、豹は雌の虎と考えられていたので、「雌雄一対の虎」の彫刻ということになります。
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(左) 豹(雌の虎)の彫刻 と (右) 虎の彫刻