記紀の三神がえびす神になる


七福神の中では唯一の日本の神です。「えびす・恵比寿」さまと呼ばれる神様は三神あります。➀蛭子(ヒルコ)神、➁少彦名(すくなひこな)神、③事代主(ことしろぬし)神の三神で、いずれも、古事記、日本書紀に登場する神です。海からやってきた来訪神とみなされて、民間信仰の「えびす神」とされました。えびす(恵比寿)神は、当初、鯛や釣り竿を持つ像容が示す通り、漁業豊漁や海上交易安全全の神とされていましたが、室町時代以降になると、財福、五穀豊穣、商売繁盛の神ともされ、七福神の一神とされるようになりました。「えびす・だいこく」の二神一対で祀られることも多いようです。

東京・渋谷区JR恵比寿駅西口 ゑびす像(大下繁作 昭和50年11月)

元来の「えびす信仰」は、古くから沿岸地域に伝わる漁民の民間信仰で、海からの漂着物や魚などを神聖で貴重なものとして祀る信仰だといわれます。すなわち、海の向こうは常世の国で、海からの漂着物は、富や幸、新たな文化・知徳などをもたらすものなので、決して粗末にせず、大事に扱い、敬わなければならない、との信仰だとされます。このような信仰に由来して、下記の古事記、日本書紀の三神も、海の向こうからやって来た神(来訪神)とされ、民間信仰の「えびす神」として祀られたものと思われます。

Ⅰ えびす神とされた記紀の➀蛭子神、➁少彦名神、③事代主神について

Ⅰ-1「国生み」神話の蛭子(ヒルコ)が恵比寿神とされる

Ⅰ-1-1 記紀の「国生み神話」の中の蛭子神(ヒルコのかみ)

蛭子神(ヒルコのかみ)は、日本の国生みの神「イザナキ」と「イザナミ」の間の子どもとされます。「イザナキ」「イザナミ」の両神は、子作りに際して、「オノゴロ島」に立てた神聖な柱の周りを相互に逆回りで回って出会った所で、(男神の方から先に女神に声をかけるべきところを)女神の「イザナミ」の方から先に男神の「イザナキ」に声をかけて、夫婦の契りを交わしてしまいました。そのため、生まれた子は、クラゲのような骨のない子で三年経っても足腰が立ちませんでした(古事記では「わが生める子良くあらず」との記載のみ)。そこで、両神はこの子(ヒルコ・蛭子)を葦船に乗せて海に流してしまい、両神の子どもとはしませんでした。(なお、記紀には、海に流された「ヒルコ」のその後についての記載はありません)

Ⅰ-1-2 海に流されたヒルコのその後

記紀の「国生み神話」の中で、葦船に乗せて海に流されたヒルコのその後については、兵庫県西宮市の「西宮神社」の由緒「御鎮座伝説」に書かれています。葦船に乗せて流された蛭児(ヒルコ)の神が、茅渟(ちぬ)の海(和泉・淡路の両国の間の海の古名)から出現し、えびす神として祀られたとされます。(以下は、西宮神社HP、由緒「御鎮座伝説」より要約)

鳴尾(なるお)の漁師は、神戸の和田岬で漁をしているときに一度ならず二度も網にかかったご神像を、家に持ち帰って大切にお祀りしていました。ある夜、夢枕にお祀りしているご神像が現れ、「吾は蛭児(ヒルコ)の神である。ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」とのご神託があったのです。鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間とも相談の上、蛭児大神を輿(こし)にお乗せして出立し、ご神託のあった西方の良き宮地、「西宮の地(西宮神社)」に、「西宮えびす大神」としてお祀りしました。海より甦った蛭児大神は、海の向こうからやってきた福をもたらす来訪神、「えびす神・えべっさん」とされ、航海・漁業の神、さらには商売繁盛などの神として祀られることになりました。

西宮神社 兵庫県西宮市社家町1-17
西宮神社は蛭児(ヒルコ)神を西宮大神(えびす神)として祀る社で、えびす様の全国総本社とされています。

西宮神社の 神額と西宮大神(蛭児神)の御神影札 恵美酒(諸宗仏像図彙」国立国会図書館)

Ⅰ-2 「国造り」神話の少彦名神がえびす神とされる

記紀の「国造り神話」の中の少彦名神(スクナヒコナのかみ)

国造り(国土建設)を前にした大国主神(オオクニヌシのかみ)が御大の御前(美保岬:島根県松江市)に佇んでいると、沖合のうねる波頭に、ガガイモの実で作った舟(天乃羅摩船)に乗り、蛾(が)の皮を剥いで作った服を着て、こちらにやって来る小さな神がいた。 近くにきたその神に名を尋ねたが答えない。周りの神々に尋ねても誰も知らない。すると、ヒキガエルが案山子(カカシ)なら知っているはずだというので、聞いてみると、この小さな神は、神産巣日神(カミムスビのかみ)の子供で小名毘古那神(スクナヒコナのかみ・少彦名神)だと判った。スクナヒコナは父神から「オオクニヌシと共に兄弟で協力して国造りを進めるように」と命じられて来たのだった。

オオクニヌシは、スクナヒコナの求めに応じてその御魂を大和の御諸山(奈良県桜井市の三輪山)に祀ってから、二神で国造りに着手した。国中を巡り、二神の国造りが成功すると、スクナヒコナは常世(とこよ)の国へ帰って行ったという。(なお、日本書紀では、スクナヒコナは高御産巣日神(タカミムスビのかみ)の子で、常世の国へ帰るに当たっては、粟(あわ)の茎の上で休んでいたところ粟の茎が風に揺れたときに弾き飛ばされて突然帰ったとされている。)

スクナヒコナは、手の指の隙間からこぼれるほど小さな神で、常世の国から海を越えてやって来て、その知識や知見などを活かしてオオクニヌシを援け、二神での国造りが成功すると、また、常世の国へ帰った、とされます。このことから、民間信仰の「えびす神」とされました。特に漁業、航海、国土開発、医薬・医療、穀物の神とされ、商売繁盛の神とされます。

神田明神の少彦名命(えびす神)の像
神田明神(東京都千代田区外神田2-16-2)は、二の宮に少彦名命(えびす様)を祀ります。

少彦名命(えびす様)のご尊像;宮田亮平 作、東芸大学長、金工作家、平成17年12月)

道後温泉の開湯伝説の大国主命と少彦名命
道後温泉(愛媛県松山市道後湯之町5-6)の「玉の石伝説」:大国主命と少名彦命が伊予の国を旅したときのこと。急病に苦しむ少彦名命を入浴させるとたちまち元気を取り戻し、喜んだ命は石の上で踊りだしたという。伝説の石は今でも本館の一角に保存されている。(道後温泉のパンフレットより)


Ⅰ-3 「国譲り」神話の事代主神がえびす神とされる

記紀の「国譲り神話」の中の事代主神(コトシロヌシのかみ)

豊葦原中国(とよあしはらのなかつこく・地上の国)を天孫(天津神)に治めさせようと思った、天照大神(アマテラスおおかみ)は、ついには、建御雷神(タケミカヅチのかみ)に天鳥船神(アマノトリフネのかみ)を副えて、,出雲平定を命じた。出雲の稲佐の浜に降りたタケミカヅチは、十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、切っ先を上に立て、その上にあぐらをかいて、すさまじい形相で、大国主神(オオクニヌシのかみ・国津神)に「天孫への国譲り」を迫った。すると、オオクニヌシは「私の一存では答えられない。息子の八重言代主神(やえコトシロヌシのかみ)の意見も聞かなければならない。コトシロヌシは、いま美保の岬へ釣りに出かけていて留守なので、帰ってきてから意見をお聞ききください」と答えた。しかし、タケミカヅチは、アマノトリフネにすぐに連れてくるように命じた。美保の岬でのんびりと釣りをしていたコトシロヌシもことの重大さを知ってすぐに駆けつけると、稲佐の浜に、恐ろしい形相で「豊葦原中国の譲渡」を迫るタケミカヅチがいた。その姿に怖れをなして、コトシロヌシは即座に天孫に国を譲ることに同意した。そして、乗ってきた船を踏んで傾け、天の逆手(あまのさかて)を打って、青柴垣に変えてその中に隠れてしまった。(以上、古事記からの概要:日本書紀では経津主神が主役で、建御雷神は脇役とされている)・・・・(以下は省略

盛岡八幡宮(岩手県盛岡市八幡町、事代主神)  世田谷観音(東京都世田谷区下馬)

この記紀の国譲り神話に登場する「言代主神」がえびす神とされています。のんびりと美保の岬で船釣りを楽しんでいる様(さま)や稲佐の浜へ船で駆けつける様が、民間信仰の海や漁業の神・来訪神の「えびす神」と重なって、えびす神とされたものと思われます。また、釣り竿を持ったり、鯛を持つ「えびす神の像容」は、この言代主神からのものとも思われます。事代主神をえびす神とする神社は、松江市の美保神社、大阪市の今宮戎神社、京都市のえびす神社などがあります。

Ⅰ-4 記紀の三神すべてに縁のある「えびす神社」

上述の記紀の三神は、えびす神として祀られたのですが、これらの三神すべてに縁のあるえびす神社もあります。下図は、恵比須神社/京都えびす神社(京都市東山区)の境内にあった案内板です。
この社は、開祖の栄西禅師が宋(中国)よりの帰途大嵐にあったが、海上に現れた蛭子神のご加護で難を免れ ることが出来、帰朝後、建仁二年(1202)建仁寺創建に当たり、境内に事代主神少彦名神を大国主神と共に祀った「えびす神社」、とされます。

Ⅱ えびす像 アラカルト

もともと、海からの漂着物を「えびす」として祀るのが「えびす信仰」なので、海から来た神とみなされた「上掲の記紀の三神」、ヒルコ神、少名彦神、事代主神のすべてが、出自に関係なく、「えびす神」とされました。そして、えびす神は福伸として、漁業・航海、農業、医療、国土安全などの神とされ、特に商売繁盛の神ともされています。「えべっさん」などとも呼ばれます。像は、「だいこくさま」と共に置かれたり、七福神の一神としても置かれています。

このような由縁からか、「えびす神の像容」は、いずれも、どの神社や寺社でも、鯛や釣り竿を持ち福々しい笑顔をしている像になっています。これらの鯛や釣り竿を持つ像容は、事代主神の国譲り神話に基づくものと思われますが、それがすべてのえびす神に適用されています。民間信仰のおおらかさを示すものでもありましょう。以下に、出会った「えびす像」を並べ(順不同)ました。
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  最勝寺〔東京・新宿区落合)              恵美須神社/京都えびす神社(京都市東山区小松


沢観音寺(栃木・矢板市沢)     乗蓮寺/東京大仏(東京・練馬区赤塚)   高輪神社(東京・港区高輪)

東光寺(東京・目黒区八雲)      高尾山清瀧口、店頭(東京・八王子市)   観蔵院(東京・多摩市東寺方)

金剛寺(東京・北区滝野川)          成子天神社(東京・新宿区西新宿)   光照寺(東京・(調布市柴崎)

瑞泉寺(神奈川・鎌倉市二階堂)   雲龍寺(東京・八王子市山田)     霊諍山石仏(長野・更埴市八幡)

成田山清寶院(東京・青梅市大柳町) 山梨・河口湖黄金の七福神の内   豊国神社/恵比寿神社(滋賀・長浜市南呉服町)