「神使」とは、神仏のお使いのことで、 仕える主神(仏)が在ってはじめてこのように呼ばれます。 ところが、その主神が何らかの事情で無くなって、 かつては神使だった像だけが残り、神使が神使でなくなっている場合があります。言わば、武士だったら主家を失って浪人に、飼い猫だったら飼い主が居なくなって野良猫になった状態です。

 

主神のいなくなった神使たち

主神は不明で、狛犬とされている虎

春日部八幡神社   埼玉県春日部市粕壁5597

この神社には阿吽の虎の像が置かれています。しかし、この社の祭神欄にも、由緒書にも、境内の末社にも虎を神使とする毘沙門天などの主神の痕跡は全くありません。

社務所では、虎像は狛犬の一つの形と理解しているが、置かれた経緯は判らないとのことです。どこからか虎像が持ち込まれたのかもしれません。いずれにしろ主神(仏)は不明で、虎は狛犬として、扱われています。

虎の像は、狛犬としても、日陰者扱いで、拝殿背後の左右に、一体ずつ離れてひっそりと置かれています。柵で近寄れず、隙間からしか見れません。


主神が無くなり、自身が守り神にされた虎

大江神社   大阪市天王寺区夕陽丘町5-20

かつてはこの柵の向こうには毘沙門天を祀る堂があったのですが、明治初期の廃仏毀釈の中で取り壊され、主神の毘沙門天は無くなってしまいました。そして、その神使の阿形の虎像(安政3年・1856)だけがここに残されました。

ところが、平成10年前後からこの阿形虎像は阪神タイガースの守り神とされるようになり、2003年には、熱心なファンに連れの吽形虎像まで造ってもらいました。

              タイガースの守護神となった虎像 吽像(左)と阿像(右)


主神の首をもがれた象と獅子

七輿山古墳の釈迦三尊  群馬県藤岡市上落合831-1

七輿山古墳(ななこしやまこふん)は六世紀前半に造られた前方後円墳ですが、後円丘の頂上にある江戸期の釈迦三尊像の首は無惨に壊されています。明治初期の廃仏毀釈によるものです。

象に乗る普賢菩薩や、獅子に乗る文殊菩薩の首がありません。象や獅子は主神(仏)を失いました。神使ではなくなった、この象や獅子は首のないご主人(菩薩)をどんな気持ちで載せているのでしょうか。

        首なし普賢菩薩を載せている象                首なし文殊菩薩を載せている獅子