上野東照宮の「栄誉権現祠」と 浅草伝法院の一角にある「鎮護堂」に 悪タヌキが大層な名前を付けてもらって祀られています。 両狸とも嘯(うそぶ)いて空を見上げています。

 

天井を仰いで嘯(うそぶ)く狸

上野東照宮「栄誉権現祠」 東京都台東区上野公園九番八十八号(上野公園内)

東照宮に祀られている家康公の仇名は「狸親父」でした。それに因んだ訳でもないでしょうが、上野東照宮には、四国八百八狸の総師、栄誉権現(狸の木像)が、家康公を祀る社殿の左側の小社祠に祀られています。「お狸さま」とよばれています。

栄誉権現 この狸の木像は、江戸時代、当初は大奥に奉納されたものでしたが、そこで大暴れしたり、災いをもたらしたので、大奥を追放されていくつかの大名や旗本の家に渡りました。しかし、追放先でも、大名、旗本の諸家をお家断絶にまで追い込むなど、数々の災いをなしたと伝わります。 大正年間に上野東照宮に納められてから、ようやく、災いをもたらさなくなったといわれています。

現在では、「お狸さま」は「他を抜く」(他抜)として、強運を呼び込むとされ、特に受験や商売に御利益があると信じられています。

栄誉権現祠

祠の中に栄誉権現(狸像)が祀られていますが、中は暗くてよく判りません。法衣を着て座わり、顔を真上に向けて(鼻を突き上げて)天井を仰ぎ見ている様子です。まともに正面を向いているようなタヌキ(像)ではありません。見えるのは顔ではなく喉(ノド)です。

下 栄誉権現像(木像)  鼻先を突き上げて天井を仰ぎ見ている    クリック拡大

 

 

下 栄誉権現絵馬 下掲の絵馬の「お狸さま」も上を向いています。・・・そらとぼけて、嘯(うそぶ)いている悪タヌキにも見えます。

 

 

 

 

 

 


  浅草寺の用人の娘に取り憑いた狸

鎮護堂 東京都台東区浅草2、伝法院に隣接

 鎮護堂由来

明治維新のとき、上野の山で彰義隊と官軍の戦いがあり、その戦いで住みかを追われたお狸さまが浅草寺の境内(奥山)に住みつきました。お狸さまは、すぐに、浅草寺の用人の娘に取り憑きました。娘は、奇妙なことを言ったり、行なったりするようになり、夜泣き蕎麦を20杯も食べたりしたといいます。このようなお狸さまの乱行に困っていたとき、この狸が夢枕に立って「住みかを用意して保護してくれるなら、悪戯(いたずら)をやめて、伝法院を火災から守る」と言ったのです。そこで、「お狸さまの乱行を鎮めることができるなら」と、「鎮護(ちんご)大使者」の称号を与えて、明治5年(1872)に境内に祀ったとされます。その後、数度の移転を経て、明治16年、浅草寺伝法院内の当地に再建されました。

左 鎮護大使者「お狸さま」 招き猫のように片手を挙げ、そらとぼけたように上を見ています。

御利益は、防火、盗難除、商売繁盛として知られていますが、かつては、鎮護(ちんご)大使者の称号から近くの吉原や玉の井の遊女たちの参拝も多く、また、狸神であることから、別名「たぬき」と呼ばれていた、「たいこもち(幇間:ほうかん)」の参拝もあったといいます。境内には幇間塚があります。

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左 鎮護堂門前
   下 鎮護堂拝所  

 

 

 

 

 

 

 


付録

蕎麦屋のタヌキ 成田不動尊商店街  冷やしたぬき