「お盆特集」として、とりためた写真の中から、「三途の川のほとり」らしいものを並べてみました。地獄・極楽のイメージは、平安時代の源信の著「往生要集」に基づくもの(浄土信仰)ですが、この中に書かれていない「賽の河原」「三途の川」「十王の審判」などの場面は後の「十王信仰」により後付けされたものです。インド、中国、仏教、道教、民間信仰、それぞれの時代背景などの影響が合わさって、死後の世界(冥土)のイメージが造られたのでしょう。

 

「三途(さんず)の川」の ほとり

 

通夜  の読経に励まされてようやく「死出の山」の山頂に立つと、眼下に、この世とあの世を分ける、三途の川が見えます。向こう岸も見えない大きな川です。川のこちらの岸(此岸・しがん)は「この世」、川の向こう岸(彼岸・ひがん)は西の彼方に当たり、地獄や極楽浄土もある「あの世」とされます。総じて「冥土」とも呼ばれます。

亡者は誰もがこの三途の川を渡ることになるので、川辺は大変な混雑です。賽(さい)の河原と呼ばれる川辺には、幼くして親に先立って亡くなった子供たちが、親不孝の罪で渡川できず回向の石積みを毎日繰り返していて、地蔵菩薩が幼児を救済しようとしています。また、三途の川は生前の善行や悪業の多少で渡川の仕方や場所が異なります。川のほとりには、亡者の衣服で罪の重さを測る奪衣婆(だつえば)や懸衣翁(けんえおう) がいたり、生前の善悪の行為ををつぶさに審査して転生先を言い渡す十王(閻魔)がいます。さらに、これら大勢の亡者の監視・指示などに当たったり、十王の審判の手助けや判決執行などを苦界の現場で直接手掛ける、それはたくさんの鬼(鬼卒)がいます。

 

Ⅰ 賽の河原

三途の川のほとりに「賽(さい)の河原」と呼ばれる場所があります。河原で、大勢の幼子(おさなご)が、それぞれ、重い石を一つずつ運んでは積み上げてケルンを造っています。早死(はやじに)したと、親不孝の罪を償わされているのです。子供たちは「父恋し、母恋し」と父母の名を呼びながら、回向(えこう)の塔をつくっているのですが、夕暮れになると、鬼が現れて金棒でせっかく積んだ塔を壊してしまいます。それが、毎日、来る日も来る日も繰り返されていて終わりは見えません。そんな時、お地蔵さまが現れて、「私を冥土の父母だと思いなさい」と、子供たちを庇護・救済してくださいます。 

賽の河原 参考 地獄曼荼羅(遠賀廼井山井岡寺蔵) http://www12.plala.or.jp/inookadera/bunkazai/jigoku.htm

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地蔵尊像の台石に彫られた「賽の河原」

賽の河原A  埼玉県北本市石戸3丁目 共同墓地 宝暦三年(1757)三月建立 子供が石を積んで回向の塔を造っているのを金棒を持った鬼が見ていて夕暮れになると塔を壊してしまいます。

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賽の河原B 稲岡観音堂 栃木県足利市稲岡町西根 享保十八癸丑天(1733)建立 二人の子供が石を運んで回向の塔を造っています。夕暮れになると鬼に壊されてしまいます。

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地蔵尊像 上記AとB 台石に「賽の河原」お地蔵さまが子供たちを庇護・救済

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子供を守護救済する地蔵尊  金昌寺 埼玉県秩父市山田1803番地

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地蔵和讃  賽の河原の情景 (七五調です。声を出して詠じてみては)

これは此世のことならず 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語 聞くにつけても憐れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも満たない嬰児が 賽の河原に集りて 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を徹すなり 彼の嬰児の所作として 河原の石を取り集め 是にて回向の塔を積む 一重積んでは父のため 二重積んでは母のため 三重積んでは故里の 兄弟我身と回向して 昼は一人で遊べども 日も入相の其の頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝等は何をする 娑婆に残りし父母は 追善作善の勤めなく 只明け暮れの嘆きには むごや悲しや不憫やと 親の嘆きは汝等が 苦患を受くる種となる 我を恨むることなかれ 黒金棒をとりのべて 積みたる塔を押し崩す 其の時能化の地蔵尊 ゆるぎ出させ給いつつ 汝等命短かくて 冥土の旅に来たるなり 娑婆と冥土は程遠し 我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと 幼きものを御衣の 裳の内に掻き入れて 憐れみ給うぞ有難き 未だ歩まぬ嬰児を 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御膚に 抱き抱えて撫で擦り 憐れみ給うぞ  有難き

 

Ⅱ 三途の川を渡る

三途の川を渡るのに、罪のない善人だったら、昔は橋がありましたが、今は舟で渡るしかあません。渡し賃は六文(銭)と決められています。善人でなかったり、六文銭を持っていない亡者は川の中を歩いたり泳いだり大変な苦労をして渡ります。渡る場所も、生前に犯した罪の軽重によって、浅瀬から深淵、緩流から激流の所と違います。

 亡者

亡者のように見える図  (御宝前常燈の台石) 雑司が谷鬼子母神堂 東京都豊島区雑司ヶ谷3                                クリック→拡大2-11

 

 奪衣婆(だつえば)

三途の川のほとり(川を渡った先)に衣領樹(えりょうじゅ)という木があり、その木の下に「奪衣婆」(だつえば)と呼ばれる老婆がいます。老婆は、ようやくのこと川を渡り終えた亡者の濡れた衣を剝ぎ取っては、木の上にいる「懸衣翁」(けんえおう) という老爺に渡します。老爺は受け取った衣を木の枝に掛け、枝の垂れ具合で生前の罪の軽重を判別します。

奪衣婆 参考 地獄曼荼羅 遠賀廼井山井岡寺蔵  http://www12.plala.or.jp/inookadera/bunkazai/jigoku.htm2-21

 

 奪衣婆像

 

霊諍山(れいじょうざん) 長野県千曲市八幡・大雲寺裏山 奪衣婆(明治中・後期作)

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乗蓮寺(東京大仏) 東京都板橋区赤塚  奪衣婆(津藩主藤堂家旧蔵)

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真覚寺 東京都八王子市散田町5 奪衣婆

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太宗寺 東京都新宿区新宿2 奪衣婆(木像)

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Ⅲ 十王の審判

亡者の生前の行い(善悪)が裁かれ、来世の転生先が言い渡されます。

三途の川を渡ると、亡者は、冥界の十王の審査を受けることになります。仏教(往生要集・十王経など)では、人の死後の行き先は、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)のいずれかとされます。どの世に行くかは、亡者の生前の行いを基に冥界の裁判官である十王が裁きます。閻魔王はこの中の一王です。審判は、没後初七日の1回目から七日ごとに開かれて四十九日の7回目で六道のいずれに転生するかが判決されます。その後、追善供養(百ヶ日、一周忌、三回忌)に開催される3回の追補審査での「救済」が加味されて、すべての転生先が最終的に確定されます。全部で10回の審判ですが、各回、異なった王によってなされます。

参考)各王の審判担当日:()内は没後の日数) 秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)・平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)

 

十王像

十王像  教学院  東京都練馬区大泉町6  元禄3年(1690年)11月善日の建立

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閻魔王の審判

十王の審判は全部で10回なされますが、各回、異なった王によってなされます。閻魔王の担当は、5回目(没後三十五日)です。閻魔王の法廷には、閻魔王を筆頭に、冥府の書記官である「司録と司命」、亡者の生前の善悪の行為を知る「倶生神」、濡れた衣で亡者の罪の重さを知る「奪衣婆・懸衣翁」が同席します。また、法廷には、亡者の供述の真偽を確認するため、閻魔帳、浄玻璃鏡、人頭杖、天秤(はかり)が用意されています。

閻魔王は、亡者の生前行為の善悪をつぶさに審査して、六道(苦界)、特に苦界の中でも最も酷とされる「地獄道」を中心に、亡者がそのいずれへ転生するかを宣告します。罪の内容や軽重で、転生先は細かく決められています。、特に地獄についていえば、八大地獄がありさらに十六小地獄があります。(下の地獄の項を参照ください)

 閻魔王像

閻魔(えんま)王は地蔵菩薩の化身(閻魔王の本地は地蔵菩薩)です。

教学院   東京都 練馬区大泉町6  閻魔像 元禄3年(1690年)11月善日建立

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乗蓮寺(東京大仏) 東京都板橋区赤塚 閻魔堂 大王の左に奪衣婆も同席

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西光院 埼玉県川口市戸塚2             井口院 東京都三鷹市上連雀7

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太宗寺 東京都新宿区新宿2 閻魔像

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霊諍山(れいじょうざん) 長野県千曲市八幡・大雲寺裏山

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閻魔さまの、きわめて庶民的な像(明治中-後期作)が2基あります。嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるともいわれます。ここの閻魔像は、鬼大王で、両手で、嘘をついた人の舌を抜くための「くぎ抜き」のような「エンマ」と呼ばれる器具を持っています。閻魔は刑の執行を自らすることはなく配下の鬼に命じてやらせますが、ここでは、「閻魔大王」像とわからせるため、舌を抜く「エンマ」を持たせているようです。  右図:クリック→拡大

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閻魔王の法廷

罪の軽重や嘘がすぐ判る六つの仕組み

審判の冒頭に、閻魔大王はまず手元の閻魔帳を見ながら罪状を述べます。閻魔王の述べた罪状に対して亡者は自分を弁護することができるようです。でも、嘘をついたことがわかると舌を抜かれてしまいます

閻魔王の審判   参考 地獄曼荼羅 遠賀廼井山井岡寺蔵 http://www12.plala.or.jp/inookadera/bunkazai/jigoku.htm

3-31

 

閻魔王が亡者に述べた罪状内容に、亡者は自己弁護を行う場合もありますが、それが嘘か本当かはどうしてわかるのでしょうか。審判の場(法廷)には、閻魔王が亡者の善悪の行為を見極めるのに使用する道具や証人が、6種も、用意されています。上掲の絵図では、閻魔王は机上に ①自身が亡者について記録した閻魔帳を広げています。机の右には下(手前)から、②浄玻璃鏡 ③人頭杖 ④天秤(はかり)が置いてあります。その上、図には載っていませんが、亡者の生前の行いを知る⑤俱生神や、⑥奪衣婆・懸衣翁も同席しています。これら、①~⑥をご案内します。

➀ 閻魔帳(えんまちょう)

閻魔帳は、閻魔王が亡者の生前のすべての行為を善悪問わず書き留めておくとされる帳簿です。下図では、閻魔王の机上に広げてあります。この閻魔帳の記録をを確認しながら、亡者の生前の行為をチェックし審判を行います。

閻魔帳 参考 錦絵 芳国 地獄絵(部分)  

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② 浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)

浄玻璃鏡の前に亡者が立つと、亡者の生前の行動の一挙手一投足が再現映像として映し出されます。気づかずに自分の生涯が他人に及ぼした影響までも映るといわれます。そのため、何一つ隠し事はできません。大きな水晶の鏡で、閻魔王の前に置かれています。

浄玻璃鏡 乗蓮寺(東京大仏) 東京都板橋区赤塚 閻魔堂 大王と鏡

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③ 人頭杖(にんとうじょう)・檀拏幢(だんだとう)

杖や竿状の檀の上の蓮華に中国風の髪形をした憤怒の男と柔和な女の頭が並んで載っています。「見る目」「嗅ぐ鼻」と呼ばれる善と悪の二つの顔で、人頭杖(にんとうじょう)または檀拏幢(だんだとう)と呼ばれます。閻魔王が亡者の生前の行為の「善行と悪業の程度や両者のどちらが多いか」などを総合的に判断する際のよりどころの一つです。閻魔王が亡者を審判するとき、重罪であれば憤怒の男相の口が火を噴き、善行が勝れば柔和な女相から芳香が漂うとされます。

檀拏幢元禄3年1690年)教学院 東京都練馬区大泉町6 人頭杖 真覚寺 東京都八王子市散田町5

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④ 天秤(はかり)

業(ごう)の秤」ともいわれる天秤(はかり)で、亡者の生前の罪の重さをはかります。下掲の石造の「はかり」では、左の分銅の大石が上がっていて、右の天秤皿に乘った亡者の側が下がっています。亡者の罪が重いということです。

天秤 真覚寺 東京都八王子市散田町5

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⑤ 俱生神(くしょう じん )   (審判に同席)

俱生神は、亡者の生前のすべての善悪の行為を知る者として審査に同席しています。

俱生神は、人の誕生と同時に、その人の両肩の上に生まれ、常にその人の善悪の行動のすべて(どんな些細なことも)を記録し、その人の死後、閻魔王に報告するという二神(二神は同一の神ともされますが)です。左肩に在る男神は「同名(どうめい)」といいその人の悪業を記録し、右肩に在る女神は「同生(どうしょう)」といい善行を記録するとされます。閻魔王の審判に同席します。久野俊彦・「日本神仏辞典」大修館書店によると、インドでは冥界を司る双生児神だが中国・日本では十王信仰と結びつき、十王図では閻魔王の前に立つ人頭杖の上に乗る「視目」「嗅鼻」とよばれる二つの鬼の首として描かれる、とあります。

⑥ 奪衣婆(だつえば)・懸衣翁(けんえおう)  (審判に同席)

奪衣婆・懸衣翁は裁かれる亡者の罪の重さを知る証人として審判に同席しています。前述しましたが、奪衣婆・懸衣翁は三途の川のほとりで、亡者から剥ぎ取った衣の重さで、裁かれている亡者の罪の軽重を測定してあります。

閻魔と並ぶ奪衣婆 布引観音・釈尊寺 長野県小諸市大久保

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エンマ

嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるといわれます。十王の審判の仕組みの中では、嘘はどんなに些細なものでもすぐにバレて言い逃れはできません。舌を抜くのに用いる釘(くぎ)抜き状の道具は「エンマ」と呼ばれます。下掲の閻魔像には、「エンマ」が添えられています。

エンマ  太宗寺(東京都新宿区新宿2)       霊諍山(長野県千曲市八幡)

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 Ⅳ 鬼たち

 三途の川にやってくる、大勢の亡者を整理、管理、指示したり、十王の審判の処刑を地獄で執行するのは、鬼たち(鬼卒)です。地獄には牛頭・馬頭などの鬼もいるようです。

法台寺 神奈川県新座市道場

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哲学堂公園 東京都中野区松が丘 鬼燈      東霧島神社 宮崎県都城市高崎町

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乗蓮寺(東京大仏) 東京都板橋区赤塚   「がまんの鬼」

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多門院毘沙門堂 埼玉県所沢市中富  「鬼の悟り」

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青森県弘前市周辺の鳥居に載る鬼

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Ⅴ 十王の判決と六道  転生先

亡者は、没後四十九日の7回目の審判で、来世は六道のいずれへ生まれ変わるか(転生するか)の判決が言い渡されます。六道とは、再掲しますと、

地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道

ですが、すべて苦界です。苦界で最も酷なところが地獄で、最も楽なところが天道です。人間道とはこの世・現世のことです。六道の中での生まれ変わりを「六道輪廻(りんね)」というようです。仏様(阿弥陀如来ほか)に「救済」して頂いたり、刑期を終えて自分で「悟り」や「徳」を積むなどすると、苦界(六道)を「解脱」できて、極楽浄土に入れるとされます。極楽浄土への切符はきわめて「入手困難」なもののようです。

人間道

冥界の十王の審判による転生先の六道の一つ「人間道」とは「現世」のことです。現世は、たくさんの楽しみや喜びなどもありますが、いわゆる’生き’地獄の観もあります。戦争・テロ・飢餓・貧困・病苦・差別・いじめ・地震・風水害・火事・犯罪・親殺し・子殺し・・・、さらには、受験地獄・通勤地獄・借金地獄・交通地獄・地獄谷などもあります。

地獄

地獄は最も罪の重い亡者が行く所とされます。地獄は奈落(ならく)の底とも呼ばれる、苦界で最も過酷な場所です。地獄絵・極楽絵は、鎌倉時代以降(特に江戸時代)、寺の僧侶が庶民に地獄・極楽を「絵解き」して説明するものでした。「地獄絵図」などを題材にした優れたウエブサイトが多数あります。そちらをご覧ください。一部のサイトを勝手に、本項末尾に添付させていただきました。

(参考)地獄は、八つの大地獄があり、さらに、十六の小地獄があって、多重層構造になっているとされます。八大地獄は以下の通りですが、後にいくほど過酷な世界のようです。①等活地獄⇒②黒縄地獄⇒③衆合地獄⇒④叫喚地獄⇒⑤大叫喚地獄⇒⑥灼熱地獄・炎熱地獄⇒⑦大焦熱地獄・大炎熱地獄⇒⑧阿鼻地獄・無間地獄。(亡者の生前の罪の内容や軽重で行き先は細かく規定されています。

参考:地獄

地獄板絵1 斧による裁断 真言院(千葉県南房総市和田町黒岩)

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地獄板絵2 釜茹での責め苦 真言院(千葉県南房総市和田岩)

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地獄絵図サイトの例

地獄絵図 地獄曼荼羅 遠賀廼井山井岡寺什蔵http://www12.plala.or.jp/inookadera/bunkazai/jigoku.htm

地獄絵・恐怖の美しさ  http://fukasoku.jp/archives/1042741753.html

死後さばきにあう:仏教的地獄絵図   http://karapaia.com/archives/51759133.html

あの世マップ ~地獄・極楽へのご案内~    http://kanon-web.net/app/

 

Ⅵ 六地蔵

閻魔王は地蔵尊の化身とされます。また、賽の河原では地蔵尊が幼子(おさなご)を庇護救済します。六地蔵と呼ばれる、地蔵尊が六体並ぶ像はよく見かけます。六道(ろくどう)地蔵とも呼ばれます。亡者が生前の行いによって生まれ変わる迷いの世界、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)に関わる地蔵尊です。

六地蔵とは、六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩。すなわち、地獄道を救う檀陀(だんだ)、餓鬼道を救う宝珠、畜生道を救う宝印、修羅道を救う持地、人道を救う除蓋障、天道を救う日光の各地蔵の総称。また、延命・宝処・宝手・持地・宝印手・堅固意の六地蔵とする説もある。(三省堂 大辞林)

六地蔵と閻魔・奪衣婆 布引観音・釈尊寺 長野県小諸市大久保

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 目黒不動尊 精霊堂 (東京都目黒区下目黒)

地蔵尊を中心に(後段に六地蔵)、前面両端に閻魔・奪衣婆、背後の壁に「賽の河原の地蔵和讃」

 

Ⅶ 極楽・浄土

「源信の往生要集」によると、苦界(六道)から抜け出した(解脱した)「悟り」の世界が極楽浄土です。如来を中心に菩薩・明王もおられます。

平安貴族の極楽浄土  平等院鳳凰堂 京都府宇治市宇治蓮華116

平等院は藤原頼道によって1052年に創始され、翌1053年に極楽浄土の象徴である阿弥陀如来の像(定朝作)を安置した阿弥陀堂(鳳凰堂)が完成。

平安時代に著された源信の「往生要集」は、地獄も記されていますが、いわば極楽への案内書で、念仏修行すれば、西方の極楽浄土の主、阿弥陀如来が諸菩薩を従えて人間世界へ降りてきて極楽浄土へ導いてくださり(来迎)、極楽往生できるとされました。当時、平安貴族たちの間では、末法思想(釈迦入滅後、年代が経つにつれ正法は衰滅し、永承7年-1052-に末法の世を迎えるとされた)が行きわたり、来世での極楽往生を願い、来世の極楽浄土を想い描いていました。

そのような背景から、鳳凰堂や周囲の庭園は、「観無量寿経」に基づく西方極楽浄土を現世に出現、感得するものとして建立されました。(平安貴族がイメージした極楽浄土です)

平等院鳳凰堂 クリック→拡大

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鳳凰  神田明神(神田神社)鳳凰殿 東京都千代田区外神田

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天女  待乳山聖天 東京都台東区浅草7 天井絵 (撮影禁止なので初詣用ポスタ-から複写)

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天女  長善寺 東京都杉並区高円寺南2

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天女  瑞鳳殿 宮城県仙台市青葉区霊屋下  (仙台藩祖伊達政宗公の御廟)

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彼岸花

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