ザクロ(吉祥果)を持つインドの女神・・・孔雀明王と鬼子母神

インドの女神で、梵名マハーマーユーリーと呼ばれる孔雀明王や、梵名ハーリティー=訶梨帝母(カリテイモ)とよばれる鬼子母(きしも)神は「吉祥果」と呼ばれる果物ザクロを持っています。吉祥果はザクロ(石榴)に比定されますが、ザクロはペルシャ・西アジア原産とされ、果実の中には、熟れると宝石のように美しいたくさんの小さな粒があり、その一つ一つに種子が入っています。このことから、ザクロはヒンズー教徒の聖木とされ、花や実は古くから子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物、さらには魔を払う果実として、ヒンズーの神々への供物とされてきたとのことです。

 

胸元にザクロ(吉祥果)を持つ「孔雀明王像

 

インドの国鳥でもある孔雀(クジャク)は、優美で気品がある姿に似合わず、サソリやコブラといった人間に有害な毒虫・毒蛇・毒蜘蛛などを好んで食べてくれるので益鳥とされています。このことから、孔雀を神格化した「孔雀明王」は、諸々の毒を取り除く神と信じられ、人々の災厄や苦痛を除き、さらには、人間の煩悩を取り祓う功徳をもつとされます。梵名はマハーマーユーリーですが、「偉大な孔雀」の意とのことです。また、孔雀明王を本尊として、魔を喰らうことから除魔法、雨を予知する能力があるとされることから祈雨法(雨乞い)もなされるとのことです。

孔雀明王像                  

顔には慈悲の微笑をたたえ、四本の腕(四臂)をもち、孔雀に載った姿で表現されています。明王の多くが怒りの表情(憤怒相)をしている中で、唯一、孔雀明王だけが慈悲をたたえた表情(慈悲相)をしています。女性神で「仏母大孔雀明王」などとも呼ばれます孔雀明王像1

四本の手(四臂)には持ち物を持っています。第一右手に蓮華、第二右手に倶縁果(ぐえんか)、第一左手(胸元)に吉祥果(きちじょうか)、第二左手に孔雀の尾羽を持っています。蓮花は仏の慈悲、倶縁果は気力増進(増益)、吉祥果は降魔、孔雀の尾羽は災難除去などを表すとされます。なお、吉祥果はザクロに比定されています。

右像は、飯能市の観音寺の石像です。        クリック→拡大

観音寺 (般若山長寿院・真言宗智山派)
埼玉県飯能市山手町5番17号

           吉祥果(ザクロ)を持つ孔雀明王像

  

吉祥果を持つ孔雀明王

孔雀明王像 (掛け軸) 国宝 平安時代

国立東京博物館蔵 研究情報アーカイブス http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/

         孔雀明王像と吉祥果(ザクロ)   クリック→拡大

孔雀明王図

 

ザクロ(吉祥果)で象徴される「鬼子母神

 

鬼子母神には千人の子供がいるとして、子宝の神とされていますが、下記のような仏教説話があります。

鬼子母神(きしもじん)は、インドの夜叉神の娘でカリテイモ(訶梨帝母)と呼ばれ、その性質は暴虐で近隣の幼児をとって食らうので人々から恐れ憎まれていました。そこでお釈迦様は、カリテイモの千人の子の内、末の子を隠して子を失う親の悲嘆を味わせて戒めました。過ちを悟ったカリテイモはお釈迦様に帰依し、子宝・安産・子育(こやす)の神とされるようになりました。

ザクロは、人肉の味・子宝の象徴

カリテイモは幼児を食べることをやめると誓って仏に帰依したのですが、その時、お釈迦様は幼児を食べたくなったら、代わりに人肉の味に似ている「ざくろ」を食べるようにといわれたといいます。 (余談:でも・・・ザクロが人肉の味に似ていると判る人が身近に居たら怖いですね) また、吉祥果ともよばれる「ざくろ」の果実は、種子が多く、子宝・安産・子育・子孫繁栄・豊穣に通じるとして鬼子母神の象徴とされました。

雑司が谷・鬼子母(きしも)神

法明寺鬼子母神堂 東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20

雑司ヶ谷・鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・瓔珞を着け、ざくろ(吉祥果)を持ち幼児を抱いた菩薩(天女)形の姿をしているとのことです。また、鬼子母神と書くにあたって、「鬼」の字の第一画目の点がない(角のない)鬼という字を用いています。

ザクロ(石榴)の絵馬と境内のざくろ(紋)

「ザクロ」は子宝・安産・子育ての鬼子母神の象徴として、本堂には「ザくろの絵馬」がたくさん奉納され、境内の様々な所に「堂紋」としてみられます。いずれの図もざくろの実の中の種子が強調されています。

拝殿前の「ザクロの絵馬」

柘榴絵馬

境内にみられる「ザクロの堂紋」

柘榴紋

境内の「ザクロ」と「鬼子母神石像」

境内のザクロと鬼子 母神像

 

付録

雑司ヶ谷・鬼子母神堂の「すすきみみずく」と「おせんだんご」

鬼子母神のすすきみみずく

かつて、鬼子母神詣でみやげに、ススキの穂で作ったミミズクが有名でした。こんな由来(堂のHPの要約)があります。

、おくめという娘が母親と二人で貧しいながらも幸せに暮らしていたが、その母親が病気になってしまった。おくめは、薬を母親に飲ませたいと思ったが、薬代もなく、薬草もみつからず、途方にくれて歩き続けていると鬼子母神堂の前にいた。

の日から、おくめは、毎日お堂にお参りしてお百度を踏み母親の病311 illust_04r50#気回復を祈った。ちょうど百日目のお参りが終わって、おくめが疲れて座り込んでうとうとしていると、秋だというのにチョウ(鬼子母神の化身)が現れておくめに話しかけ、堂の周りのススキの穂でミミズクを作ること教えそれをお参りの人に分けるようにといって消えた。

くめの作ったススキミミズクは参詣の人に「鬼子母神のお守り」と喜ばれ、飛ぶように売れた。おくめがそのお金で薬を買って母親にのませると母親の病気はすっかり回復し、母娘で鬼子母神にお礼参りをした。  と、伝わります。

    鬼子母神のススキミミズク        クリック→ 拡大

ススキミミズク

 

 

 

ススキミミズクは、7、8年前に作り手が途絶えてしまいました。地元の「すすきみみずく保存会」によって復活された秩父産のススキを使ったみみずくが「雑司が谷案内処」にあるとのことです。

 

 

  境内のミミズク像

ミミズク像

おせんだんご

「おせんだんご」の名前は、鬼子母神に千人の子供がいたことにあやかり、たくさんの子宝に恵まれるようにという願いに由来しています。江戸時代には参詣の人々が境内で休むとき、また鬼子母神詣での土産として親しまれました(堂のHPより)。途絶えていたのを、日暮里の羽二重団子製で復活、毎週土日に境内の大黒堂で楽しめます。

おせんだんご