群馬県藤岡市にある 七輿山古墳には、 明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の爪跡を生々しく伝える、 首なしの釈迦三尊像と五百羅漢像があります。

七輿山古墳の五百羅漢と釈迦三尊

                                          群馬県藤岡市上落合831-1ほか

七輿山古墳(ななこしやまこふん)は六世紀前半に造られた前方後円墳(国指定史跡)ですが、おそらく江戸も後半になって、後円丘の中腹に五百羅漢の石像が並べられ、丘の頂上に釈迦三尊の立派な石像が建てられたものと思われます。

ところが、それらの像の現状は、なんとも無惨な姿に変わり果てています。全ての石像の首が破壊され、もぎ取られています。実に恐ろしい光景です。これは、単なる悪戯(いたずら)ではありません。明治の廃仏毀釈の嵐の結果と思われるものです。

「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」とは・・

神道(天皇制)を基盤とする国家体制を目指す、明治維新政府の方針に従って、明治初年に太政官布告「神仏分離令」が、続いて、明治3年に詔書「大教宣布」が発せられました。千数百年もの間、神仏が混然と一体になった信仰や習俗だったものが、突如分離され、神道が国教ともみなされました。その際に「仏教の排斥運動」が起こり、その中で、全国各地で、廃寺や、寺院の施設・仏像・仏具の破壊などがなされました

首なし釈迦三尊像

前方後円墳の後円の丘上にある釈迦三尊像には、中央の釈迦如来を始め、脇侍の普賢・文殊菩薩の首がありません。廃仏毀釈で壊されたものです。左の「象」は首のない普賢菩薩を載せ、右の「獅子」は首のない文殊菩薩を載せています

首のない釈迦三尊像

私は、菩薩の乗る象や獅子を神使として扱っています。菩薩は壊されていますが、象や獅子は無事です。でも、この象や獅子は首のないご主人(菩薩)をどんな気持で載せているのでしょうか。健気な姿が一層むごさを感じさせます。

 

 

獅子と象 ##

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神使の館 普賢菩薩の象へ

神使の館 文殊菩薩の獅子へ

 

首なし五百羅漢像

人影の全くない、古墳丘の中腹に、首をもがれた五百羅漢の石像が目前に広がっています。廃仏毀釈のあおりで破壊された羅漢像です。原爆の図や、テロや戦争による大量虐殺の映像とも重なります。一度見たら決して忘れられない、背筋が寒くなる光景です。

首なし五百羅漢像

201 首をもがれた五百羅漢1

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古墳の説明は詳しくなされているのに、これらの壊された像については何の説明もありません。ここの首のない像たちは、廃仏毀釈を今に伝える貴重な史跡だと思われますが・・・。仏像の頭部はどこへいったのでしょうか。