昔から、 祭神や故人などに縁(ゆかり)のある像や碑、墓などを欠き削ってお守りとする風習があったようです。 鳳来山東照宮の狛犬は戦場での無事を願い、 鼠小僧の墓は金回りが良くなるようにと、 欠き削って削り片を身に付けてお守りにされました。                                                                                      どの写真もクリックで拡大してご覧になれます

① 欠き削ってお守りにされた東照宮の狛犬

鳳来山東照宮    愛知県新城市門鳳来寺4

鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)は、日光、久能山とともに日本三大東照宮と案内され、江戸幕府初代将軍「徳川家康」を神格化した、「東照大権現」が祀られています。

削られて丸石になった狛犬(拝殿前の狛犬)

鳳来山東照宮の拝殿前の左右には、拝殿に近い方から、初代、二代、三代(現役)と三対の狛犬が置かれています。一番手前の現役の三代目の狛犬はまともですが、初代・二代目の狛犬は欠き削られて本来の姿を留めず丸石状態になっています。

 写真下  左右の外側は現役の狛犬(三代目)、内側はのっぺらぼうな二代目狛犬 (初代狛犬は見えない)

1 鳳来山東照宮の狛犬正面(二代・三代)#

 

これは、出征する兵士が狛犬を欠き削って、弾丸除けのお守りとして、戦場に持っていったためとのことです。幾多の苦境をくぐり抜け、武運にめぐまれた家康公にあやかりたいと願ったからです。(神社の冊子より)

背後から見た三代の狛犬

拝殿に近い方(左)から、初代、二代、三代と、三基の狛2 左狛犬背面犬が並ぶ、珍しい光景です。

欠き削られて、初代はただの丸石状態。二代目は目鼻も無いのっぺらぼうでかろうじて背後から見ると尻尾や腰部の輪郭が残っている状態。現役の三代目は無傷で建立時のままです。

狛犬の建立年

初代: 慶安4年(1651)9月建立(当東照宮建立時)、二代目: 昭和15年(1940)11月建立(皇紀2600年)、三代目(現役): 平成2年(1990)11月建立

拝殿前にあった詩歌二首 「戦場に召されし兵の守りとて 身を削られき狛犬われは」 「戦争の絶えし世なれば神護る 身をば削るな狛犬われの」

追記

■ 狛犬の欠き削りは公然のことだった?

「東照宮」には、番所や社務所があります。江戸時代には通行手形が無ければ拝殿での参拝はできませんでした。そんな中で、監視の目を盗んで、拝殿前の狛犬を欠き削ることは出来るものではありません。石の狛犬を欠き削るには、素手では無理なので鑿(のみ)などの道具も必要です。狛犬は、白昼、おおっぴらに(公然と)、欠き削られて、このような丸石にされたり、目鼻も無いのっぺらぼうにされたものと思われます。おそらく公認されていたのでしょう。  平和な世なので、現役の狛犬はまだ無事です。 なお、二代目の狛犬が奉納された昭和15年(1940)は、9月に「日独伊三国同盟」が結ばれ、11月(狛犬の奉納月)には、皇紀2600年の記念式典が国を挙げて行われるなど、皇国意識が高揚した時期でした。翌、昭和16年12月8日には太平洋戦争に突入しました。この戦争への出征のお守りとして狛犬は欠き削られたのでしょう。

■ 故人や祭神と縁のない狛犬を欠き削って、ご利益にあやかれるのか?

故人や神仏の「徳や才能、業績、運など」にあやかって、お守りや記念品として、さらにはご利益が得られるとして、その個人や神仏に縁のある墓石や石像などが欠き削られているのを稀に目にします。しかし、狛犬がそのような目に遭ったということをこれまで聞いたことはありません。狛犬は、祀られている故人や神仏との縁も無く、「身代わり」や「縁故物」でもないので、狛犬に祭神のご利益を期待するのは無理です。同じ徳川家康公を祀る、他の「東照宮」でも、狛犬は、この鳳来山の狛犬と同様に欠き削られたのでしょうか。下掲の回向院の鼠小僧の墓のお前立ちと同様の役割を、狛犬が担っているということでしょうか。


➁ 欠き削ってお守りにされた鼠小僧の墓

回向院 鼠小僧の供養墓 東京都墨田区両国二丁目8番10号

鼠小僧は寛政九年(1797)生まれの実在の盗賊であり、天保三年(1832)に浅草で処刑されています。「甲子夜話」によれば、武家屋敷にのみ押し入ったため 庶民からは義賊扱いされていると記されています。後に幕末の戯作者、河竹黙阿弥が、権力者である武家屋敷に自在に侵入し被権力者側である庶民に盗んだお金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とする作品を世に送り出したことから人気に火がついたとされます。

東京都墨田区の回向院〈えこういん)に鼠小僧の供養墓があります。鼠小僧の墓石を欠き、財布や袂(たもと)に入れておけば、金回りが良くなる、あるいは持病が治るとも言われます。供養墓の前のお前立ち(墓石の身代わり)は別名「欠き石」と呼ばれ、欠き削って御守りにされて来ました。成就した人々の奉納した欠き石は数年ごとに建て替えられ続け、現在までに数百基に及んでいるとのことです。 (以上、境内の掲示板より抜粋)    最近では、難関(堅固なお屋敷)をするりと通り抜けることが出来るとして、受験生が鼠小僧の墓を削ってお守りとするケースも多いようです。

鼠小僧次郎吉(教覚速善居士)の供養墓 – 墨田区民族文化財指定     クリック ⇒ 拡大

3 鼠小僧の墓

 

浅草の盗人を発見!  「今昔きもの 胡蝶」の屋上(浅草1-39-11)、伝法院通り、鎮護堂前

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