太田道灌の命を救った猫を祀ったのが 「自性院の猫地蔵堂」の縁起です。 「新宿住友ビル」にある黒猫の像「玉ちゃん」は、 この「自性院の猫地蔵堂」の縁起を基に造られたようです。

太田道灌を救った招き猫

自性院(無量寺)   東京都新宿区西落合1-11-23

新宿区西落合に「自性院(無量寺)」という「猫地蔵」を祀るので有名な寺があります。境内には猫地蔵を祀る地蔵堂があり、入り口の門柱の上には小判を持った招き猫が置かれています.

太田道灌を救った猫  猫地蔵堂の前に「猫地蔵和讃」の碑があり、猫像の二つの由来が二番と三番に書かれています。由来の一つとして、二番には、「文明九年に政争あり 猫に導(ひ)かれて福を得る 道灌公の報恩行 み像祀りしはじめとぞ」と記されています。すなわち、文明九年(1477)の江古田ヶ原の戦で、太田道灌が敗れて道に迷っていると、黒猫が現われて手招きをし、「自性院」に案内してくれたので道灌は命拾いをし、後の戦いで勝利することができたといいます。この黒猫の死後、手厚く祀ったのが「猫地蔵」の楚だとされます。太田道灌は江戸城を築いて長禄元年(1457)4月に入城しました。

                        自性院門柱上の招き猫


新宿住友ビルのネコ「玉ちゃん」

新宿住友ビル 東京都新宿区西新宿2-6-1

新宿副都心のビル群の中で、ひときわ目に付く新宿住友ビル(通称住友三角ビル)の広場に、玉を持って斜め前を見上げている黒い猫の像があります。世界的に著名な彫刻家・造園家「流 政之」氏の手によるものです。

台座に書かれた「説明板」(下に掲示)によりますと、この猫は、太田道灌が戦(いくさ)に敗れた時、逃げ道を案内して道灌の命を救った猫だとのことです。大田道灌は長禄元年(1457)に江戸城を築いて入城しました。このことから、太田道灌は江戸を開いた人物とされていますが、その道灌の命を救ったこの猫は、「江戸の恩ねこ」とされています。忘れられないように「玉ちゃん」と名付けられて、後々まで、江戸の守りを期待されています。

この「玉ちゃん」は、上掲の自性院の猫地蔵の由縁に基づいて造られたものと思われます。

  玉ちゃんの説明板      右は玉ちゃんの像

 

猫像の作者は「流 政之」。猫の生まれは「文明狂年」とありますが、道灌と猫との出会いは文明九年(1477)の江古田ヶ原の戦で、この猫像は新宿住友ビル完成時(1974年)に置かれたものとみられます。後に東京都庁舎も建造されましたが、これら西新宿の開発の様子をずっと見守ってきた「ネコ」ということになります。

付録  参考追加

 流 政之(ながれまさゆき)氏のネコ像二体

前掲の新宿住友ビルのネコ「玉ちゃん」の作者で、著名な彫刻家・造園家「流 政之」氏のネコ像二体です。

銀座の恋の招きネコ「コイコリン」

三愛ドリームセンター 東京・中央区銀座5、銀座4丁目交差点

 銀座4丁目交差点にある三愛ドリームセンターの建物の左右端にネコの像が置かれています。そばにある説明板によりますと、このネコ「コイコリン」は、彫刻家「流 政之」氏の作で、1963年(昭和38年)に三愛ドリーム館と共にこの場所に誕生し、以来銀座の街を見守ってきたとされます。コイコリンは館に向かって右がオス、左がメスで、この前で待ち合わせをしたり、女性はオスを、男性はメスを願いを込めて撫でれば恋が成就するという、「銀座の恋の招きネコ」だとのことです。ノルウエイ産の御影(ミカゲ)石から彫り出されました。

銀座の恋の招きネコ 「コイコリン」    1963年 流 政之 作

銀座の恋の招きネコ「コイコリン」は、このネコが誕生する2年前の1961年(昭和36年)に、石原裕次郎と牧村旬子によって唄われて大ヒットし、翌年(1962)映画にもなった「銀座の恋の物語」を下地にしているものと思われます。

右のネコは「ごろべえ」、左のネコは「のんき」と名前がつけられています。

 

急がば回れのネコ 「たんま」

日本アイ・ビ-・エム(IBM)本社 東京都港区六本木3丁目2番12号

コンピュータ関連業界の最大手「IBM」の日本法人である、「日本IBM」の本社ビル(港区六本木)にネコの像があります。ネコ像はビルの裏口(バックヤード)に置かれています。

座布団(a cushion)の上にのる「たんま」 1971年 流 政之 作

このネコ像も「流 政之」氏の作で、「たんま」と名付けられています。時間に追われる毎日であっても、心に安らぎを求めるなら、「急がば回れ」と「たんま」がかかっています。和英両文で説明されています。