日蓮上人は、 鎌倉の草庵が焼打ちされた際、山王権現の白猿の案内で逗子の岩窟に難を逃れたとされます。 この法難に拘わる、 鎌倉の安国論寺と逗子の法性寺に猿の像があります。 

山王権現の白猿に救われた日蓮上人

日蓮上人は、比叡山(天台宗)などで10年におよぶ修行の後、千葉に帰って、仏法の真髄は「南無妙法蓮華経」の題目を唱える「法華経」にあるとして、法華宗を興しました(1253年)。
法華宗の布教のため千葉を離れた日蓮は、、鎌倉の松葉ヶ谷に草庵を結び、付近の辻に立って民衆に説法を行なうなど精力的に活動を展開しました。しかし、それは、既成の他宗(特に念仏宗)や武士階級(幕府)を強く批判・攻撃するものでもありました。そんな中で、日蓮が「立正安国論」を執筆して鎌倉幕府執権 北条時頼に差し出すと、当初から反感を持っていた念仏宗の信者などによって、日蓮の住む松葉ヶ谷草庵が焼打ちされる事態になりました。(松葉ヶ谷法難と呼ばれる)

この焼打ちから、日蓮上人の命を救ったのが、日蓮がかつて修行した比叡山の山王権現の白猿でした。白猿の案内で、日蓮は草庵のあった松葉ヶ谷(鎌倉の「安国論寺」)から、名越の尾根伝いに逗子の「法性寺」の裏山の岩窟に逃れることができたと伝わります。また、猿は、日頃、日蓮が一飯のお布施もなく飢えていたとき、食物を持ってきてくれたとも伝わります。

この伝承に因んで、日蓮が焼打ちにあった松葉ヶ谷草庵の霊跡の一つで、立正安国論を著した地とされる、鎌倉の「安国論寺」と、日蓮が白猿の案内で尾根伝いに避難した岩窟付近を霊跡として建立された、逗子の「法性寺」に、「猿の像」があります。   写真はクリックで拡大してご覧になれます

 

日蓮に食物を捧げる猿

安国論寺 神奈川県鎌倉市大町4-4-18

日蓮上人が焼打ちにあった松葉ヶ谷草庵の霊跡の一つで 寺名は日蓮の著した「立正安国論」に因んだもの。

安国論寺境内

日蓮上人に食物を捧げる猿

 布教活動中、新興宗教に対する周囲の冷たい目の中で、一飯のお布施も無く日蓮が飢えたとき、山王権現の白猿が日蓮に食物を捧げたといわれます。

 

 

 

山門の扁額の猿

猿畠山法性寺(えんぱくさんほっしょうじ)      神奈川県逗子市久木9-1-33

日蓮が焼き討ちにあった松葉ヶ谷の草庵から、白猿の案内で尾根伝いに避難した岩窟付近を霊跡として建立された寺です。

奥の院には、日蓮が逃れた岩窟や祖師堂・山王権現社があります。山号「猿畠山」は山に猿が群れていたからとも、猿が日蓮に捧げる食物を採る場だったからともいわれます。

 法性寺山門の猿

法性寺の山門には、山号「猿畠山(えんぱくさん)」の扁額が架けられていますが、そこには日蓮を案内してきたとされる山王権現の白猿があしらわれています。なお、この扁額の「猿畠山」は日蓮終焉の地である池上本門寺の第79世伊藤日定の揮毫です。

 

 

法性寺山門の猿左右#