神武天皇の東征を援けた 「金鵄(キンシ)」と呼ばれる 「金色の鵄(=鳶 トビ)」の伝承が、 日本書紀などに載ります。        写真は全てクリックで拡大できます

神武天皇と金鵄

  神武天皇(カムヤマトイワレビコノミコト)は日向(宮崎県)の高千穂宮を発って東征の途次、長髄彦(ナガスネヒコ)との戦いで苦戦を強いられました。このとき、金鵄(キンシ、金色の鳶)が天皇の持つ弓の上端に飛来してとまり、金色のまばゆい光を発して敵兵の目をくらまして戦意を削いで勝利をもたらしたと伝えられます。その後、神武天皇は、大和を平定し、橿原(かしはら)で初代天皇として即位されたとされます。

現在は廃止されていますが、明治22年に制定された、軍人の最高位の勲章、「金鵄勲章」(キンシクンショウ)はこの伝承に由来したものでした。

 

紀元二千六百年

明治政府は、明治5年(1872)に、古事記や日本書紀などの記載から神武天皇が即位された年を西暦紀元前660年と定め、その年を紀元(皇紀元年)としました。このことは、「記紀」などの神話(物語)を史実(歴史)としてとらえ、天皇制度を正当化しようとする一環でした。

昭和15年(1940)は、紀元(皇紀)二千六百年に当ることから、皇国の国威高揚のため、国を挙げて式典などのイベントが行われました。神武天皇を祀る橿原神宮も整備され、「金鵄」などの記念切手も発行されました。当時の国民学校の低学年用修身の教科書には、「神武天皇と金鵄」の口絵も載り、「紀元節(キゲンセツ)」などを学ぶカリキュラムでした。幼年期から、皇国の体制と皇国臣民(少国民)としての自覚を刷り込まれました。翌、昭和16年12月8日には太平洋戦争に突入しました。

 紀元二千六百年記念切手「金鵄」                                        教科書「ヨイコドモ 下」の口絵 (神武天皇と金鵄)

 

 

 

 

ヨイコドモ 下 文部省著作発行 昭和16年2月発行(国民学校二年生用国定修身教科書)
十八 キゲン節                            クリック → 拡大

 

金鵄(キンシ)の像

月隈・八幡宮  福岡県福岡市博多区月隈3

境内に、「神武天皇」と彫られた背高の碑があります。石柱上にとまっている鳥は、神武天皇を援けたとされる「金鵄(キンシ)」と呼ばれる「金色の鳶(トビ)」です。確認し忘れましたが、この碑は、皇紀2600年を記念して昭和15年(1940)に建てられたものと思われます。

橿原市・近鉄大和八木駅前 奈良県橿原市

 奈良県橿原市の近鉄大和八木駅前に、「建国文化都市」と書かれた柱上に金色の鳥がとまった碑があります。この鳥は、日本書紀に載る「金鵄(キンシ)」と呼ばれる「金色の鵄(鳶 トビ)」です。神武天皇は、金鵄に援けられた後、大和を平定し、橿原(カシハラ)で初代天皇として即位されたとされ、この近鉄大和八木駅の隣駅にある「橿原神宮」に祀られています。

金色の鳶は、橿原市の市章(マーク)にもデザインされて、雄飛と平和を象徴しています。


付録

仙台城跡の金鵄  宮城県仙台市青葉区川内1

上項の「神武天皇の金鵄」に因んで、仙台城(青葉城)跡にある「昭忠塔」と呼ばれる慰霊碑の頂にも金鵄(きんし)がありました。しかし、東日本大震災(2011.3.11)で高さ約20メートルの慰霊碑の上から落下、破損し、現在は、碑前の建屋に収容されています。

昭忠塔は、西南の役(明治10年)、京城事変(明治17年)、日清戦争(明治27・28年)の内外の戦いで、戦死した東北地方の将兵(第二師団)を慰霊するもので、明治35年(1902)に建立されました。塔の頂上の金鵄(きんし)は、地上20mにあり、青銅製で、翼は6.7m、重さは17.5トンもあり、東京美術学校(現東京芸大)の若手助教授ら(櫻岡三四郎氏鋳造など)によって制作されたものです。

仙台城跡「昭忠塔」の金鵄(東日本大震災前の状態)401 金鵄-昭忠塔

 

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