Ⅰ 「だいこくさま」 大黒天と大国主命との習合

大黒天は、➀ 元はマハーカーラというインドのヒンドゥーの神で破壊神ともいわれる神でしたが、仏教に取り入れられ、➁ 中国に入って厨房に祀られるようになり、③ それが、密教と共に日本に伝来して、④ 次第に、日本古来の(神道の)大国主命と習合して、福伸とされ、⑤ 七福神の一尊ともされて、現在見られるような福相の大黒天になりました。以下、二つの仏像図集の大黒天像を参照しながら像容の変遷も見てみました。

Ⅰ-1  インドでの大黒天

① 大黒天は、インドのヒンドゥーの最高神シバ神の分身で、マハーカーラ(摩訶迦羅)と呼ばれていた神です。マハーカーラは、破壊神、戦闘神、財福神などとされていましたが、後に仏教に取り入れられて仏法の守護神とされました。両界曼荼羅(胎蔵界)に描かれているマハーカーラ(大黒天)像(下図)は、「三面六臂(顔3面、腕6本)で青黒色の体。憤怒の形相で、第一手は両手で抜き身の剣を水平に持ち、第二手は左手に山羊の角を持ち、右手に人間の髪を掴んで吊るし、第三手は両手で象の皮を頭上に掲げて被っている」恐ろしい凶暴な像となっています。

胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 ・マハーカーラ)

大黒天 大正新脩大藏經図像部DB、(第3巻240頁)

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Ⅰ-2  中国での大黒天

② マハーカーラは、仏教の護法神として中国に入って、「マハー」とは大・偉大、「カーラ」とは黒・暗黒・時・時間を意味するので「大黒天」と名付けられ、当初の武闘神の面は薄れて、厨房に祀られ、厨房(食の)神、財福神とされるようになりました。高野山霊宝館 の「仏に関する基礎知識:大黒天」によると、『唐で成立したとされる「大黒天神法」によると、頭に烏帽子、袴を着て、裙は短く、袖は細く、右手は拳で右腰にあて、左手は大袋(金嚢)を持ち肩にかける大黒天像で、この像を食屋(厨房)に祀り供養すると、一般の家は栄えて富や位を得られ、寺院では千人の衆徒の食を養うことができるとされる。』と、あります。

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Ⅰ-3  日本での大黒天(1) 密教守護の厨房神

③ 日本には密教とともに中国の「厨房の大黒天」が伝わりました。伝教大師(最澄)が比叡山開創時(延暦7年・788年)に天台宗の護法神として延暦寺の厨房に三面大黒天(下図)を祀ったのが始めとされます。三面大黒天像は、大黒天、毘沙門天、弁財天の三体合体の三面六臂の像で、正面の大黒天は米俵の上に立ち食生活を守り、諸願を叶えてくれるとされます。伝教大師(最澄)が、天台宗、三千人の修行僧の毎日の食が滞りなく得られるように願い、さらに福徳と寿命が得られるようにと、自ら一刀三拝して彫った像です。また、真言宗の高野山の各寺院にも厨房に大黒天が祀られているとのことです。大黒天は、日本に入った時点で、食物神、農業神、田の神ともされていたのです、

三面大黒天「諸宗仏像図彙」(巻3-24)国立国会図書館デジタルコンテンツ

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Ⅰ-4  日本での大黒天(2) 大国主命との習合 福伸に

④ 日本に入って密教の護法神として厨房に祀らてた後、次第に、大黒天は、主に、「大黒」と「大国」を「だいこく」と読む字音の類似から、わが国古来の神道の神である大国主命(おおくにぬしのみこと)と同体とされ(習合して)、共に「だいこくさま」とも呼ばれるようになりました。すなわち、大黒天に、出雲神話(古事記、日本書紀)などに載る神話のイメージが付与されたのです。なお、大黒天を祀る寺社では「大黒さま」としますが、大国主命を祀る神社では「大国さま」と書いて区別しているようです。

大国主命と習合した大黒天の図。二つの「仏像図集」から「大黒天」で検索したもので、左右とも大黒天図です。

左:七福神内の大黒天「諸宗仏像図彙」(巻4-14)国立国会図書館デジタルコンテンツ
右:大黒天 大正新脩大藏經図像部DB、(第3巻932頁):出雲神話の「因幡の白兎」の中で、兄たち(八十神)の荷物を持たされて大きな袋を肩に背負って歩く大黒天(=大国主命・大穴牟遲おおなむち神)

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Ⅰ-5  日本での大黒天(3)七福神の一尊に

⑤ 大黒天から、当初の破壊神、武闘神の面影や憤怒相はすっかり無くなり、農業、財福、福徳の神とされ、さらには、室町時代以降になると、七福神の一尊ともされて子孫繁栄、五穀豊穣、商売繁盛の神ともされるようになりました。大黒天像は、定型化され、現在見る大黒天像になったのです。通常、福々しい笑顔で、福耳をもち、頭巾を被り、恰幅の良い体に狩衣風普段着の装束を付け、大きな袋を左肩に担ぎ、右手に打ち出の小槌を持ち、米俵に乗っています。

近代の大黒天像

色紙               京美仏像           戸部・杉山神社

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Ⅱ 大黒天あれこれ

Ⅱ-1 大黒天と鼠

Ⅱ-1 ➀ 大黒天の神使は鼠

 大黒天は、大国主命と習合して福伸、豊穣の神、さらには七福神の一尊となりました。習合した大国主命の神使は「鼠に救われた」との出雲神話(古事記・下欄参照))に因んで「鼠」とされています。さらに、鼠は、食物(米俵・農業・厨房)との縁が密接なこと、多産なこと、宝物をもたらす(宝のある場所へ案内する)との民話、などから、福伸としての大黒天の神使とされたのてす。五穀豊穣、子孫繁栄、商売繁盛、諸願成就などの願いを叶えてくれる大黒天の象徴として、「大黒天の背負う大袋」に加えて、「米俵と鼠」「打出の小槌と鼠」も受け入れられています。

大国主神社(大阪市)

大黒天のお使い・神使が鼠であることから、「大黒天の縁日」は、60日ごとにくる甲子(きのえね)の日、子(ネ・鼠)の日とされています。特に、大黒天の「黒」は陰陽五行では北と冬を指すことから冬至を含む旧暦11月の子の日を主な縁日(祭日)とし、黒豆や二股大根を供える風習もあります。また、大黒天を祀る寺社では、大黒の「黒」が陰陽五行で北を指すように、大黒天は北方の神なので、十二支で北に相当する子(ネ・鼠)を「お使い」とするとの説もあるとのことです。

「鼠に助けられて、難を逃れた大国主命」の話 –(古事記など)

 大穴牟遅(オオナムチ=大国主命)は、須佐之男命(スサノオノミコト)の娘、須勢理毘売(スセリヒメ)と恋に落ちた。しかし、大国主命は、このことを知った須佐之男命から厳しい試練を与えられることになった。第一日目は蛇のいる部屋、二日目は蜂や百足の部屋に寝せられたが、二夜とも姫の機転で難を切り抜けることが出来た。三日目には、大野原の中に射込まれた鳴鏑(ナリカブラ)の矢を拾って来ることを命ぜられ、矢を拾いに野原に入るとすぐに火を放たれた。大国主命が逃げ惑っていると、鼠が出てきて「内はほらほら、外はすぶすぶ(内部はうつろで、外部はすぼんでいる)」と言うので、そこを踏むと、地下は空洞になっていてそこに落ち込んだ。そのまま避難していると火は焼け過ぎていった。その上、その鼠は鳴鏑の矢をくわえて持ってきてくれた。大国主命は須佐之男命に矢を渡すことができた。鼠に助けられた。大国主命と姫は、無事に「根の国」を脱出して、出雲に新しい国を開いた。

神田明神(東京都千代田区)・随神門内側の彫刻::
野原に火を放たれて大国主命が逃げ惑っているところを鼠に助けられる場面

Ⅱ-1 ➁ 「だいこくさま」の社に奉納された、神使のねずみ像

福相寺 大黒堂 東京都杉並区堀の内3-48-58 伝教大師作(伝)の「願満大黒天」を安置する。

嘉永3年(1850)4月奉献 願主今津屋平右衛門・世話人大阪泉屋吉右衛門

大豊神社の末社「大国社」 (祭神 大国主命)京都市左京区鹿ヶ谷宮ノ前

昭和44年(1969)奉納:氏子中 御屋根葺替記念 考案 宮司 小林常喜 
左像は、水玉(=酒=不老長寿・薬)を抱き、右像は、巻物(=学問)を持つ阿吽の一対

敷津松之宮 大国主神社(祭神 大国主命・素盞鳴尊)大阪市浪速区敷津西1-2-12


昭和59年(1984)奉納

戸部・杉山神社(祭神 大国主命・素盞鳴尊)神奈川県横浜市西区中央1-13-1 

回転福ネズミ 平成14年(2002)5月奉納

北新羽・杉山神社(祭神 大己貴命=大国主命)


神奈川県横浜市北区新羽(にっぱ)町39218 回転ふくネズミ

Ⅱ-2 大黒天が左肩に担ぐ大きな袋

大黒天は大きな袋を持っています。中身は何でしょう。 中国で厨房(台所)神、財福神として祀られた大黒天像が持つ袋(金嚢・金袋)の中身は、七宝(七珍)とされます。七宝とは七種の宝のことで、無量寿経では金・銀・瑠璃るり・玻璃はり・硨磲しゃこ・珊瑚さんご・瑪瑙めのう、法華経では金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰まいかい、をいいます。一方、日本で大黒天とされる大国主命が背負う袋の中身は、出雲神話の「因幡の白兎」のなかで、八上比売(やがみひめ)に求婚に行く際に、大勢の兄たち(八十神)に持たされた荷物です。

大きな袋を担いだ大国主命とウサギ(出雲大社+ 絵馬:大洗磯前神社・神田明神)

Ⅱ-3 大黒天が右手に持つ打出の小槌

大黒天は右手に「打出の小槌(うちでのこづち)」というお宝を持っています。欲しい物や願い事を唱えながら振るとそれが叶(かな)うとされる小槌(こづち)です。大黒天は日本に入った後に、特に七福伸の一尊ともされ、財福蓄積、商売繁盛、五穀豊穣などのご利益をもたらす福伸とされるようになり、「打出の小槌」は、大黒天が、富をもたらし、諸願成就を叶えてくださる象徴とされます。どうやら、日本に入ってからの持ち物のようです。

【左】大黒の打出の小槌と鼠、岳亭(華岡)春信筆(ウィキメディア・コモンズ)
【右】2020年子年 年賀はがき切手印字

Ⅱ-4 大黒天が乘る米俵

大黒天が米俵に乗る図は、伝教大師(最澄)が比叡山延暦寺の厨房に祀った日本初の大黒天像、「三面大黒天」(Ⅰ-3項参照)でも見られます。比叡山延暦寺建立(延暦7年・788年)の際に、伝教大師(最澄)が、天台宗、三千人の修行僧の毎日の食が滞りなく得られるように願い、さらに福徳と寿命が得られるようにと、自ら一刀三拝して彫み、厨房に安置したのが、この三面大黒天です。中国で厨房に祀られた大黒天信仰が密教と共に日本にもたらされたものです。日本に入ったときには、すでに、大黒天は、食物神、農耕神、田の神としても扱われていて、それが米俵に乗るという形で表されたように思われます。米俵はその後の大黒天像に引き継がれ、五穀豊穣や財福、商売繁盛などの象徴ともされるようになりました。

米俵に乗る三面大黒天像(再掲示)

Ⅱ-5 大黒天と大根鼠

大根鼠の図:大根食う(だいこくう)鼠=大黒天の鼠

染付大根鼠図大皿 東京国立博物館蔵  2008年年賀はがきインクジェット用切手印字

大根は「だいこ」ともよばれます。京都のお寺などで12月に無病息災を願って大根を煮てふるまう行事を大根焚き(だいこだき)といいます。この図の「大根食う(だいこくう)ねずみ」は「大黒(だいこく)ねずみ」にかけた判じ物になっています。また、大根ではなく「蕪(かぶ/かぶら)と鼠」の図もありますが、鼠が鏑矢(かぶらや)を大国主命に渡して助けたとの神話に因むものです。


Ⅱ-6 大黒天と二股大根

大黒天の縁日は、60日ごとにくる甲子(きのえね)の日、子(ネ・鼠)の日です。特に、子(ネ)は陰陽五行では北と冬を指すことから冬至を含む旧暦11月の子の日を主な縁日(祭日)とし、黒豆や二股大根を供える風習もあります。大黒天(大国主命)は艶福家で沢山の女神と結婚し子供の数も100人を越えます。大黒天の被る頭巾は男根を表し、二股大根は女性に見立てたものともされます。二股大根を供えることを「大黒様の嫁とり」と称する地方もあるとのことです。大黒天と二股大根の図柄は、子孫繁栄、夫婦和合、家庭円満、無病息災、五穀豊穣、商売繁盛をもたらす吉祥図とされます。

【絵馬左上】大国主神社(大阪市)、【絵馬左下】静岡浅間神社内少彦名神社(静岡市)本殿蟇股十二支彫刻模写図 令和二年子年絵馬「双股大根に鼠」、【右掛軸】「大黒に二股大根図」葛飾北斎画 東京国立博物館「北斎展」葛飾北斎美術館蔵

Ⅱ-7 (参考) 浮世絵の大黒天

【左】見立大黒天(鈴木春信画) 
【右」大黒天・因幡の白兎(葛飾北斎画) 東京国立博物館デジタルコンテンツ


Ⅲ 大黒天の石像アラカルト

通常、いずれの像も、福々しい笑顔で、福耳をもち、頭巾を被り、恰幅の良い体に狩衣風普段着を着て、左肩に大きな袋を担ぎ、右手に打ち出の小槌を持ち、米俵に乗っています。鼠を添えたものや変わり種の像もあります。

A 大黒と鼠
臥龍山安養院 (東京・品川区西五反田) 沢観音寺(栃木・矢板市沢)  下館・羽黒神社(茨城・下館市)

【左】手の平に鼠   【中】足下に鼠   【右】足下に札束を持つ鼠

B 変わり種大黒天
武蔵野稲荷神社(東京・練馬区栄町)  根岸・善性寺(東京・荒川区東日暮里)   住吉神社(青梅市住江町

【左】小槌で鑿(のみ)を打つ  【中】大判を持つ  【右】大黒猫

C 長禅寺(茨木・取手市取手)  乗蓮寺/東京大仏(東京・練馬区赤塚)  神田明神(東京・千代田区外神田)

D 高輪神社(東京・港区高輪) 北新羽・杉山神社(神奈川・横浜市港北区)  戸部・杉山神社(神奈川・横浜市西区中央)

E   東光寺(東京・目黒区八雲)         瑞泉寺(神奈川・鎌倉市二階堂)

F 高尾山清瀧口広場店頭(東京・八王子市) 金剛寺(東京・北区滝野川)  成子天神社(東京・新宿区西新宿)

G 光照寺(東京・調布市柴崎町)   雲龍寺(東京・八王子市山田)   観蔵院(東京・多摩市東寺方)

H 成田山清寶院(東京・青梅市大柳町)  井口院(東京・三鷹市上連雀)  盛岡八幡宮(岩手・ 盛岡市 八幡町)

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