+養蚕守護 (ネズミ除け)

猫像

 

   養蚕(繭)の出来不出来は 養蚕農家の人々の労だけではどうしようもないものがありました。 人々は、 養蚕の神に養蚕守護と豊蚕を祈りました。 ネズミに蚕を荒らされる被害、蚕の餌である桑が雹、霜、暴風雨でやられる被害、気温や湿度の異常、蚕病の被害、などなど心配の種は尽きません。そんな中で、良い繭の出来を願って、蚕の起き(成長)の無事を祈ったのです。神社やお寺の境内にあったり授与品として残る、人々の祈りの断片的な痕跡を見てみました。

  1. 鼠害の防御 ➀ネコ ②ヘビ ③ムカデ
  2. 蚕の起きをよくするダルマ
  3. 蚕の餌の桑の無事生育を祈る
  4. 養蚕全般の守護– 養蚕守護札

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1 鼠害の防御(ネズミ除け)

養蚕農家は、実に大切に手をかけて蚕を飼育していました。そんな中で、ネズミに蚕を食い荒らさられる被害に悩まされました。ネズミは、蚕の卵、幼虫、蛹(繭玉)、いずれ構わず食べてしまいます。一晩で大きな損害となり、一度被害にあうと、それが繰り返されたのです。養蚕農家はネズミの被害を恐れて、ネズミの天敵の猫を飼ったりして防御に努めました。それだけではなく、養蚕の神に養蚕守護を祈り、ネズミ除けに天敵のネコ、ヘビ、ムカデなどの助力を願い、それらの石像を神社に奉納したり、それらの姿の入ったお札や絵馬などを神社から戴いて神棚に供え蚕室に貼って、防御に努めました。かつては、全国でこのような鼠除けの祈願が日常の中で行われていたとのことですが、今日ではその痕跡もめったに見られません。

 1– ① ネコ–a猫の石像・b猫のお札、c猫絵、dネコ(根古)石 ② ヘビ ムカデ

 

1-➀ ネコ

 

a 鼠除けの猫の石像

蚕を食べ荒らすネズミの天敵のネコの石像を神社に奉納したり、路傍や畑の畔などに置いてネズミ除けを祈りました。ネコは保食神などの養蚕神の神使ともされ、猫神が養蚕守護神ともされて、ネズミ除けと豊蚕が祈られました。

木島神社(金刀毘羅神社内) 京都府京丹後市峰山町字泉

京丹後市の金刀毘羅神社内の木1-111島(コノシマ)神社は、養蚕の神、機織の神として蚕の起源神「保食神」を祀ります。社前に、蚕を害するネズミの天敵である、猫像が一対奉納されています。「丹後ちりめん」用の原料生糸を扱っていた江州(滋賀県)商人と当地の糸屋が、蚕の守護として、寄進したものです。なお、「木島神社」の本社は、京都市太秦森ケ東町の「木島坐天照御魂(コノシマニマスアマテラスミタマ)神社」で、秦氏ゆかりの古社で、境内にある摂社、かいこのやしろ(蚕の社)、「蚕養神社」で知られます。秦氏は養蚕、機織、染色の技術に優れていました。

 奉献:(左)天保三載九月(1832)江州外村氏 石工 鱒留村 長谷川松助 (右)弘化参午青祀(1846) 当所絲屋中

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熊田坂・温泉神社 栃木県那須塩原市黒磯・赤坂

神社の入り口に、大黒1-121た碑を真中に置いて、その左右に猫の像が眼光も鋭く控えています。養蚕農家の村人が、蚕を鼠の害から守ってもらうことや豊蚕を願って奉納したものです。鼠害防止のための飼い猫がモデル。明治40年(1907)

 

 

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修那羅(ショナラ)峠、安宮神 長野県東筑摩郡築北村坂井修那羅山

長野県の修那羅峠(安宮神社1-131)には、江戸末期から明治にかけて、庶民によって奉納された多種多様な石神・石仏像がおよそ1000体もあります。素朴で力強い像が裏山に雑多に並びで、民間信仰の縮図とも言えます。これらの像の中に「猫」の像もあります。蚕の大敵となる鼠除けを願った猫像で、養蚕の守り神ともされまスす。                 「養蚕大神祠」と彫られた石碑の傍らには、すさまじい形相の養蚕大神(猫神?)を真中に、左右に唐猫風の猫像が控えています。

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高龗(たかお)神社  栃木県河内郡上河内町西の内

境内の端に猫像が並びます。もと1-141は路端や桑畑の畔など他所にあったのをここに移したものか?猫像は素朴な造りですが、顔はリアルで迫力があり、阿吽をしています。いずれも前足が欠けているのが残念。ここの猫像も、蚕を鼠の被害から守り、豊蚕を願って、奉られたと思われます。

 

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霊諍山(レイショウザン) 長野県更埴市八幡 (大雲寺の裏山)

霊諍山は明治の中頃に土俗信仰の場として開山され、ユニークな石仏石神像などが百余体もあります。蚕の大敵となる鼠除けを願った猫の石像(猫神と猫)もあります。

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b 鼠除けの猫のお札

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神社から猫の姿の入ったお札をいただき、神棚に供えたり、蚕室に貼って、鼠除けや養蚕の無事を願いました。

         (右図) 八海山尊神社 新潟県南魚沼市大崎4161

 

 

 

c 鼠除けの猫絵「新田猫絵」

新田猫絵」は、1738(文永6年)~1894(明治27年)の約150年もの間、岩松(新田)家の4代にわたる殿様によって代々描かれた直筆の猫絵で、蚕を食べるネズミ除けに特段のご利益があるとして養蚕農家に求められ、蚕室や板戸などに貼られました。岩松(新田)家は、養蚕の盛んな現・群馬県太田市にあり、名家の出で大名格ではありましたが、名ばかりで知行はわずか120石と貧乏で、代々の殿様は「養蚕の鼠除けの猫絵」を描いて収入を得たのです。なお、明治に入ってからも「新田猫絵」のお守りとしての評判は高く、横浜港からヨーロッパに蚕種を輸出(輸送)する際にも船倉での鼠害除けに「新田猫絵」が添付されたり、刷り物にされた猫絵が富山の薬売りなどによって各地で配布されたとのことです。

      新田猫絵                   右図は、日本絹の里所蔵

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d 鼠除けのネコ石(根古石)

咲前神社 群馬県安中市鷺宮33081-181

拝殿の左右に「ネコ石」と呼ばれる大きな石があります。ここに小石を供えて拝み、これを借りて帰り、神棚に上げて拝んだり、蚕室に置くと「ネズミ除け」になり、豊蚕になると信仰されていた。(神社のパンフレットより)

また、ネコ石に供えるのに、繭(まゆ)に見立てた小石もあります。

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1-② 蛇 ヘビ

鼠除けのヘビ

養蚕の最大の敵は、蚕や繭を食い荒らすネズミで、養蚕農家はネズミ除けに、ネコを飼い、神社にお参りして猫の像を奉納したりと手を尽くしました。ネコと同様、ヘビもまたネズミを食べて退治してくれるとされ、ヘビのお札や絵馬を神社から戴き養蚕守護を願いました。そして、ヘビを神使とする弁財天や宇賀神も養蚕の神とされました。

絹笠神社/咲前神社 群馬県安中市鷺宮33081-211

咲前(さきさき)神社は養蚕守護で知られる神社で、境内の絹笠神社に養蚕の神、絹笠さまを祀ります。絹笠神社の社前には白蛇の小さな像とヘビの抜け殻が奉納されています。ヘビは、蚕を食べるネズミを退治するとされていました。(右図)

咲前神社には白いヘビがいるといわれ、ヘビを拝んで神社から借りてくると「蚕が当たる」といって信仰されていました。養蚕の敵であるネズミは、飼っている蚕を食べ、できた繭を食い破ってさなぎを食べてしまうので、咲前神社にお参りして「神様、どうぞ白いヘビをお貸しください」といってお願いして家に帰ると、家の梁や棟に白ヘビがニョロニョロ這い回って、ネズミを退治してくれたとのことです。咲前神社では「一筆書きのヘビの絵・長虫さま」を授与しています。(神社のパンフレット参照)

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打越弁財天 東京都八王子市打越町

境内の案内板より 八王子市打越町の打越弁財天は、梅洞寺塔頭の一つ。かつて、八王子は、織物の街として養蚕業が栄えていた。養蚕が盛んな市内各地では、丹精を込めて育てた繭(まゆ)をねずみに荒らされ困ることから、ねずみを退治してくれる、「白蛇」を御神体とした弁財天信仰が盛んになった。その中でも打越弁財天は、鑓水(やりみず)より始まる絹の道(シルクロード)に最も近く、関東近県より大勢の信仰をあつめていた。(なお、5月3日の例祭の時だけ、弁財天のお使いのヘビの姿が入った絵馬が授与されます。) 下図は、案内板とヘビの絵馬

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1-③ 百足 ムカデ

養蚕の鼠除けに毘沙門天のムカデ

角田市鳩原地区でも養蚕は盛んでしたが、ネズミに蚕のマユなどを食べられる被害に悩まされました。地区周辺では「ネズミはムカデを嫌う」とされており、毘沙門天のお使いであるムカデが「ネズミ除け」として信仰されました。

福應寺毘沙門堂 宮城県角田市鳩原字寺44

そのため、養蚕守護を祈って、ムカデの絵や文字を描いた絵馬(ムカデ絵馬)が福應寺毘沙門堂に奉納されました。現存する堂の絵馬(23,477枚)のほとんどがムカデ絵馬で、最も古いものは明和5年(1768)奉納で、絹が重要な輸出品とされた明治10年代に奉納されたものが最も多く4000枚にのぼるとのことです。

かくだの「ムカデ絵馬」切手1-311

「福應寺毘沙門堂奉納養蚕信仰絵馬」は、毘沙門信仰とムカデと養蚕が結びついた習俗を表す貴重なものとして国指定重要有形民俗文化財となり(2012年3月8日)、これを記念して「ムカデ絵馬」の切手が発行されました(2012年8月)。

切手にある、下左のムカデ絵馬には、ネズミとムカデの絵が描かれています。毘沙門天のお使いの「ムカデ」が「ネズミ」を「退散」し、「養蚕が安全」であることを願って「奉納」した様子が伺えます. 1-312

 

2 蚕の起きをよくするダルマ

かつて、各地で行われる年末年始の「市(いち)」には、熊手や籠などの農具などに交じって、招き猫とダルマが店頭に並べられていました。招き猫とダルマは養蚕の縁起物ともされていたからです。猫は蚕の鼠除け、ダルマは蚕の起きをよくするものとして求められました。

「蚕の起き」とは 蚕は、脱皮の前には桑を食べなくなり「眠」とよばれる静止状態になり、「起きる」(脱皮する)と桑を食べて成長します。脱皮を4回繰り返して(4眠4起して)5齢になると繭(まゆ)を作ります。養蚕農家は、ダルマ(達磨:起き上がり小法師)の七転び八起きにあやかり、蚕の起き(4度の脱皮)がよくなり、良い繭になることを願って、ダルマを縁起物として求めました。

小林山達磨寺 黄檗宗 群馬県高崎市鼻高町296

少林山達磨寺は縁起だるま発祥の寺とされます。高崎のだるまは、江戸時代中期に、9代目の住職が、少林山を開山した心越禅師の一筆達磨を原像として達磨の木型を彫って、紙張り子を農家に教え、農閑期の副業にだるま作りを奨励したのが始まりとされます。少林山達磨寺では正月6日・7日に名物・七草大祭だるま市が開かれます。張り子(はりこ)の縁起「だるま」と共に、張り子の「招き猫」も店頭に並べられます。養蚕の盛んだった上州では、当初は、「だるま」と「招き猫」は共に、養蚕の縁起物として造られ、だるまは七転八起に因んで蚕の起きがよくなるように、招き猫は鼠の天敵として蚕の鼠害の防御と豊蚕を願ったものでした。同様に、関東各地のいずれのだるま市でも、養蚕の縁起物として、「だるま」と「招き猫」が店頭に置かれます。下図は、小林山達磨寺が授与する張り子のダルマと招き猫 2-111

2-121 咲前神社 群馬県安中市鷺宮3308

養蚕守護の神社として知られる咲前神社にも蚕の起きをよくする縁起物として、ダルマの絵馬があります。現在では合格祈願の絵馬とされているようです。何度落ちてもへこたれるなということか?

 

 

伏見稲荷大社 京都市伏見区深草薮之内町68番地

全国に3万社あるとされる稲荷社の総本宮。稲荷大神が稲荷山に鎮座されたのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日。

伏見稲荷大社の建立者である渡来系豪族、秦氏は、養蚕・機織・染色の技術に優れていて、蚕養神社(蚕の社:京都・木島神社内)を造るなど養蚕の普及と養蚕守護に力を注ぎました。また、稲荷神の中には蚕神とされる祭神(宇賀神や保食神など)も祀られています。一方、五穀豊穣のご利益があるとされる稲荷山の土をこねて素焼した、様々な土人形(伏見人形)の一つとして招き猫も造られました。このような背景の中で、土産物(神具)売り場に置かれた招き猫とダルマは、蚕を食い荒らす鼠封じの猫、蚕の起き(生育)をよくするダルマとして、格好の参詣みやげとされ全国各地に持ち帰られたものと思われます。 下図は、土産物(神具)売り場の招き猫とだるま(伏見稲荷大社境内)

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3 蚕の餌の桑の無事生育を祈る

蚕の唯一の餌である桑が、霜(しも)や雹(ひょう)、嵐(あらし)などのため大被害をうけてダメになり、餌がなく蚕を育てられなくなる事態もありました。人々は、泣く泣く蚕を地中に埋めたり川に流さざるを得ませんでした。養蚕農家は、このような被害がないようにと、神社に参拝して雹除け・嵐除けのお札をいただいてきました。

雹害・霜害・風雨被害 除けのお札3-111

榛名神社  群馬県高崎市榛名山町849

榛名(はるな)講は、群馬県の榛名山にある榛名神社に参拝する講ですが、榛名神社は、特に雹(ひょう)除け・嵐(あらし)除けにご利益があるとして、全国に知られていた農業守護の神社です。群馬県をはじめ関東周辺のほとんどの養蚕農家は桑や農作物の無事生育を願い、集落単位で「榛名講」をつくって参拝(代参)し、神社から戴いた「雹除け・嵐除け」のお札を畑に立てていたそうです。現在でも、「雹(ひょう)除け」のお札はありませんが、右のような「嵐(あらし)除け」のお札は授与されています。

 

4 養蚕全般の守護– 養蚕守護札

養蚕の当たりはずれは死活問題でした。天災など人為では対処できないようなことの起こる不安にかられて、人々は養蚕の無事と豊蚕を神に祈りました。神社から「養蚕守護」のご神札をいただき神棚に供えたり蚕室に貼っていました。

養蚕の守護と豊蚕を祈るお札4-111

かつては、日本全国各地に養蚕を守護する神社やお寺があって、養蚕守護のお札が授与されていました。右は三峯神社と寂光院の養蚕守護札です。

三峯神社 埼玉県秩父市三峰298-1

継鹿尾山寂光院 愛知県犬山市継鹿尾(つがお)山

 

「蚕」(かいこ)という字は、「天の虫」と書きます。三峯神社のお札にはそれが「神の虫」と書かれています。「天」にしろ、「神」にしろ、字からも、いかに蚕が大切にされていたかがうかがえます。

 

 

 

 

「養蚕の記憶」の稿は、本稿も含めて下記の 3部作になっています。  他の稿もご覧下さい。