風神・雷神は、古代インドの自然現象を神格化した原初的な神々で、後に仏教に取り入れられて、仏法の守護や勧善懲悪を行い、風雨を調え、五穀豊穣をもたらす神と信じられるようになりました。

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風神・雷神の像容

本来、姿や形のない風・雷を神格化した神ですので、風神・雷神の像容は多種多様であってもよいはずです。それなのに、なぜ、どの像も同様の姿形・構図に造られているのでしょうか。

風神像は、風袋を襟巻き状に背に担ぎ、右手で袋を支え左手で袋の風口を押さえる、半裸鬼面の像

雷神像は、小太鼓を連ねた輪(雷鼓)を背負い、上下に構えた両手に桴(ばち)を持つ、半裸鬼面の像

このイメージの原型となったのが、三十三間堂(京都市)の千体千手観音の守護神二十八部衆と共に安置されている風神・雷神像だといわれます。古来の自然信仰や伝説に基づいて造られた日本独自の像容で、鎌倉期、本堂の再建時に像造を統括した湛慶がその作成に深く拘わったとされます。この像の姿形が、江戸期になって、有名な俵屋宗達の風神雷神図(屏風絵)に採り入れられ、宗達の図を尾形光琳が写すなど、後世の風神・雷神の像容として定着したものといえましょう。

参考のため、「三十三間堂の風神雷神像」と「宗達の風神雷神図」を添付(引用)しました。

三十三間堂の風神雷神(鎌倉期の作)

蓮華王院三十三間堂 京都市東山区三十三間堂廻り町657

三十三間堂の千体千手観音立像の前には、その守護神である二十八部衆と共に、風神・雷神の像が安置されています。日本化された像容で、以降の二神のイメージを決定づけた像です。堂の再建時(鎌倉時代)に造像を統括した湛慶がその作成に深くかかわっているとされます。
 蓮華王院三十三間堂のHP・パンフレットを参照 http://sanjusangendo.jp/h_1.html

 

俵屋宗達の風神雷神図(屏風絵)(江戸期の作)

この風神雷神図(屏風絵)は、俵屋宗達の代表作とされています。上掲の三十三間堂の風神雷神の像容(姿形)を引継ぎ取り入れて描かれたもので、今日の風神・雷神の形象を定着させた作品でもあります。京都の建仁寺の所有品ですが、現在は京都国立博物館に寄託収蔵されています。
図の出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

風神・雷神の像

① 都幾山慈光寺観音堂 埼玉県比企郡都幾川町西平386

 

 観音堂外陣の欄間彫刻の風神・雷神

 

 

 

② 浅草寺・雷門  東京都台東区浅草1-2-3

浅草寺の総門は、最初は天慶5年(942)に現在の駒形付近に建てられ、鎌倉時代になって現在地に移転。その時に「風神」「雷神」が奉られたとのことです。雷門は、正しくは「風雷神門」といいます。その後数度の焼失・再建が行なわれました。現在の雷門は、1865(慶応元)年の焼失から95年経った昭和35年(1960)に、松下電器産業の創業者松下幸之助氏によって再建・寄進されたものです。また、現在の風神・雷神像は、江戸時代に焼失を免れた頭部に明治時代になって身体を補刻した像が引き継がれているとのこと

 

③ 輪王寺大猷院 二天門   栃木県日光市山内2301

大猷院の二天門の裏面にある風神雷神像
風神は、手の指が4本しかなく東西南北を現し、雷神は、手の指が3本で過去、現在、未来を、足の指が2本で天、地を現しているといいます。

 

④ 志貴毘沙門天「妙法寺」   愛知県碧南市志貴町二丁目61

 

    山門にある、陶製の風神・雷神像

 

⑤ 多気山不動明王堂   栃木県宇都宮市田下(タゲ)町563

堂前の左右に置かれた石造の風神・雷神像

 

⑥ 東光寺  東京都目黒区八雲1-9-11

本堂の前左右の石造りの風神・雷神像

 

⑦ 金剛寺(紅葉寺) 東京都北区滝野川3-88-17

山門裏側の左右に置かれている風神・雷神像
宝永7年(1710)の作造とされる像で、他の像とは一味異なる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

➇ 神龍山開宮寺・井口院  東京都三鷹市上連雀7-26-26

   境内 閻魔堂の近く、ブロンズの風神雷神

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