日光東照宮 14の動物物語の 「上」「中」に引き続き「下」 をご覧ください。

日光東照宮 14の動物物語 下 10~14話

 

  10 唐門–屋根上の龍とツツガ(獣偏に恙)

  11 祈祷殿脇の東回廊–眠り猫

  12 奥宮(おくみや)–鋳抜門の蜃(しん)

  13 奥宮(おくみや)御宝塔(墓所)– 埋蔵金伝説の鶴亀

  14 大猷院夜叉門–夜叉の膝の象(膝小僧)

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10 唐門–屋根上の龍とツツガ(獣偏に恙)

唐門は、拝殿・本殿を参拝するための門で、さらにその背後にある家康公の眠る宝塔(奥宮)へも通じます。東照宮の中でも最も重要な門で、江戸時代にはお目見えの許された幕臣や大名しか使えませんでした。したがって、唐門には霊獣も配備されて不審者の出入りは厳重にチェックされました。唐門の屋根には世上最強の霊獣とされる龍とツツガ(獣偏に恙と書いてある)が配置されています。なお、ツツガは獅子や虎より強い霊獣とのことです。

鰭(ひれ)切れの龍10-1 唐門屋上の龍r02

 

金輪で足止めされているツツガ10-2 唐門屋上のツツガr02

 

龍とツツガ(獣偏に恙)

唐門の屋根上には、龍は屋棟の左と右端(東西)の2体、ツツガは正面と背後(南北)の唐破風の上に2体、計4体の霊獣が配備されていて、昼は龍が夜はツツガが守っているとされます。即ち、最強の霊獣が東西南北の四方を昼夜を問わず24時間体制で守護しているのです。

さらに、この唐門から警護の霊獣が離れないように、龍の鰭(ひれ)は切ってあり、ツツガの四足は金輪で屋根にしっかりと繋いであります。霊獣は他所へ行くこと事は出来ません。不謹慎ですが、ちょっぴり遊び心も感じられるような造りです。

 

11 祈祷殿脇の東回廊–眠り猫

眠り猫

唐門右手の祈祷殿脇すぐの東回廊に「眠り猫」の蛙股があります。ここから坂下門を通って207段の石段を登り、家康公の眠る「奥宮の宝塔」に至ります。

下の写真左の「猫」について案内板には、『眠猫:左甚五郎の作 牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫が転た寝(うたたね)しているところで日光を現わす絶妙の奥義を極めている』とあります。

11-1 眠り猫と雀r02

眠り猫は「日光」に因んで彫られたものとのことですが、この図だけから日の光を連想するのは難しいと思われます。ですが、咲き誇る牡丹や、猫の彫刻と背中合わせにある「雀の遊ぶ彫刻(写真右)」とも併せて、穏やかで平和な時間が感じられます。

しかし、奥宮に通じるこの箇所にある眠り猫は、角度や見ようによっては、寝たふりをしていて、いつでも起き上がって獲物に飛びかかれるような体勢(右前足に力を入れている)をとっていて、人の出入りを窺っている(監視・警戒している)ようにも見えます。

参考:この猫も眠り猫? – 寝たふり?

観泉寺(東京都杉並区今川)(石造)  東京メトロ有楽町線「辰巳駅」駅前広場(江東区辰巳1)(鋳造)

11-2 この猫も眠り猫?r02

 

12 奥宮(おくみや)– 鋳抜門の蜃(しん)

蜃気楼(しんきろう)を発生させる「蜃(しん)」

12-1 蜃r02#

この像は、蜃(しん)と呼ばれる霊獣で、大変珍しいものです。蜃は龍の一種で、蜃気楼(しんきろう)を発生(出現)させる霊獣とされます。像は、口から「気」を吐き出している様(さま)です。12-2 001r002_edited-2#

「本草綱目」の龍蛇部の蛟龍の項に、「蜃(しん)は蛟(みずち)の属で、形状は、蛇に似て大きく、角は龍のようで、鬛(たてがみ)は紅色、腰から下の鱗(うろこ)はいずれも逆さ(逆鱗)である。ツバメを食べる。口から「気」を吹(吐)きだし、それが楼台や城郭のようになる。」と書かれています。 (上文及び右図は「和漢三才図会の蜃」より)

蜃気楼とは

大気の下層に温度などの密度差があるとき、光の異常屈折により、地上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたり、遠くの物体が近くに見えたりする現象。海上や砂漠で起こる。日本では富山湾で見られる。(デジタル大辞泉)

蛤が蜃気楼をつくるとの説も

一方で、蜃気楼を起こすのは、蛤(ハマグリ)の別名である「蜃」で、「年を経た大蛤が海中から吐く気が、春や夏に、楼台(の形)をつくる」とする説もあります。中国の古書「史記」などに載るとのことです。

 

13 奥宮(おくみや)御宝塔(墓所)– 埋蔵金伝説の鶴亀

奥宮(おくみや)御宝塔(御墓所)は、東照宮で一番高いところにあり、ご祭神家康公の神柩をおさめた宝塔です。当初は木造でしたが、石造に改められ五代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製に改鋳されました。(国指定重要文化財)

13-1 鶴亀と御宝塔

鶴亀の像

御宝塔の前の「前卓」の上に、大きな青銅製の花立(花瓶)、獅子つまみの香炉と共に、鶴亀の像があります(写真左)。鶴と亀はなぜ置かれているのでしょうか。通常、鶴亀は「鶴は千年、亀は万年」といわれて、おめでたい「賀」の場におかれたり、「賀」(特に長寿)を願う場合におかれます。墓所と鶴亀の組み合わせはどこか違和感があります。しかも、よくみると、鶴は金輪で足止(留)めされています。 クリック→拡大)

実は、この鶴亀は燭台(火立)なのです。亀の背に乗った鶴は嘴(くちばし)にロウソク立てを咥えています。宝塔前の前卓(まえじょく)に真宗大谷派用の鶴亀火立付き三具足ある、花瓶(花立)、香炉、燭台(火立)は「三具足(みつぐそく)」と呼ばれる仏具一式で、特に、鶴亀の燭台は浄土真宗の大谷派、仏光派、高田派が用いるものとのことです。(右写真参照)           この宝塔前の「三具足」は、寛永20年(1643)に朝鮮通信使によってもたらせられた朝鮮国王からの奉納品とのことですが、寺院寺社でもない東照宮の、仏壇でもない宝塔の前に、なぜ仏具が置かれたのでしょうか。「神仏混合」ともいえますが。

徳川埋蔵金伝説

また、この鶴亀に関連して、徳川埋蔵金伝説があります。

徳川幕府が江戸城を開城した時、城内にあった資金は想定よりはるかに少なく、徳川の莫大な資金はどこかに秘密裏に埋蔵されたとの伝説になりました。以後埋蔵金を探して、多くの人が各自の手がかりを基に発掘を試みてきましたがいまだに見つかっていません。

埋蔵金のありかの手がかりの一つが、この宝塔前の鶴亀が、下記のわらべ歌 「かごめかごめ・・・」 の歌詞にある鶴亀だとする説です。

概ね下記のような解釈によるとされます。

♪ かごめかごめ かごのなかのとりは   籠目(六芒星)の中の鳥居とは家康の墓所を指す

♪ いついつでやる                いつ埋蔵金は出るか

♪ よあけのばんにつるとかめとすべった 朝日(日の出)が昇る時 鶴亀(の影)が指し示す先(宝塔)

♪ うしろのしょうめんだーれ         宝塔・墓所の真後ろに(埋蔵金は)ある

 

字句上の解釈としては、多少無理はあるものの面白い解釈だと思います。しかし、次のような矛盾もあるように思われます。家康は妙見(北辰)信仰や陰陽道五行説、風水などに基づき、自分が北極星の位置(不変不動の位置)に祀られることを願い、宝塔(墓所)は北極星を背にした真北にあります。したがって、その前にある鶴亀は墓所の真南になります。一方、朝日は東から昇ります。鶴亀の影が墓所(宝塔)の方向(北)に伸びることはないのでは?

 

14 大猷院夜叉門–夜叉の膝の象(膝小僧)

夜叉門は大猷院第3の門で、像の背面などには華麗な牡丹の彫刻がなされています。別名牡丹門とも呼ばれます。14-1 烏摩勒伽IMG_7334r40#

夜叉「烏摩勒伽」の膝の象

夜叉門の正面と背後の格内に華麗な色彩の四夜叉が安置されています。四夜叉のうちの一尊として「烏摩勒伽(うまろきゃ)」がありますが、その両膝の部分には「象」が彫られています。これを見て、「これが膝小象(=膝小僧・ひざこぞう)の名前の由来だ」と、テレビ番組の「笑点」流の薀蓄(うんちく)を述べる人もいるそうです。

 

 

 

「日光東照宮の動物物語」と題して、計14話を下記の、上中下の3部に分けてご報告させて頂きます。