日光東照宮は 元和3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公をご祭神(日光山東照大権現)としておまつりした社です。現在の社殿群は、 そのほとんどがご鎮座から20年後の寛永(かんえい)13年(1636)に建て替えられたものです。 平成11年12月「世界文化遺産」に登録されました。 日光東照宮には数えきれないほどたくさんのの動物の彫刻などがありますが、その中からほんの一部を興味本位に「日光東照宮の動物物語」と題してとりあげてみました。計14話を上中下の3部に分けてご報告させて頂きます。
日光東照宮の動物物語 上:1~4 中:5~9 下:10~14
- 五重の塔–東面は徳川三代の干支
- 表門(仁王門)–豹と虎で雌雄一対の虎
- 上神庫–想像の象(狩野探幽下絵)
- 表門–木鼻の象と獏(ばく)
- 神厩–馬を守り、世話をする猿
- 御水舎–飛龍(応龍)は最高位の龍
- 石柵–飛越えの獅子
- 陽明門–随身の尻に敷かれる虎
- 唐門–水を飲ませてもらえない牛
- 唐門–屋根上の龍とツツガ(獣偏に恙)
- 祈祷殿脇の東回廊–眠り猫
- 奥宮(おくみや)–鋳抜門の蜃(しん)
- 奥宮(おくみや)御宝塔(墓所)– 埋蔵金伝説の鶴亀
- 大猷院夜叉門–夜叉の膝の象(膝小僧)
すべての写真はクリックで拡大してご覧いただけます
五重塔:重要文化財 狭小浜藩の初代藩主酒井忠勝が慶安3年(1650)に寄進した塔が焼失し、文政元年(1818)に十代藩主酒井忠進が再建したのが現在の五重塔。
五重塔の初層(第一層)の軒下には、十二支の動物が彫られていて方向を示しています。 五重塔は、ほぼ東向きに建っていて、正面(東面)の蟇股(がままた)には右から虎、兎、龍が彫刻されています。虎は初代将軍家康、兎は二代秀忠、龍は三代家光、それぞれの生まれ年の干支になります。徳川三代が、正面にしかも干支の方位順にうまく配されたものです。
家康が寅年生まれ(天文11年(1542)12月26日三河国岡崎城で誕生)であることに因んで、虎の姿が日光東照宮の表門や神輿舎など各所で見られます。
■ 写真上 表門長押の蛙股に並ぶ虎 写真下 神輿社の「妻」にある虎
■ 家康ゆかりの社の虎–日光東照宮以外の例
家康の虎は、日光だけではなく他の東照宮や、家康が再建に拘わったとされる寺社など、縁(ゆかり)の社にもあります。.ある人物の生まれ年の干支がその人を象徴するものとしてこれほど多くの像や図とされているケースは他にはありません。
上段左から、秩父神社(秩父市)、岩清水八幡宮(京都府八幡市) 下段左から、久能山東照宮(静岡市)、蓬莱寺・鳳来山東照宮(新城市)、雉子神社(東京都品川区)
江戸時代初期に、狩野派などによって描かれた屏風絵や襖絵、障壁画などの「虎図」には、複数の虎の中に、豹の姿がみられます。これは、当時の常識として、「豹は雌の虎」と考えられていたことから、豹は、雌虎や母虎として描かれたものです。
東照宮表門の虎・・・
寛永12年(1635)の建立の日光東照宮の表門には、家康の干支が寅年でしたので、虎の彫刻が幾つも施されています。 特に、内陣の梁上には、右の虎の対として左に豹が彫られています。当時は、豹は雌の虎と考えられていたので、「雌雄一対の虎」の彫刻ということになります。 参考
天正二十年(1592)に徳川家康の力で再建された、秩父神社(埼玉県秩父市番場町)にも、家康の干支に因んで拝殿正面に4面に亘って虎の彫刻があります。名工左甚五 郎の作と伝えられますが、このうち、特に、「子宝・子育ての虎」と呼ばれている、左から二番目の「子虎と戯れる親虎」の彫刻が有名です。
子虎と戯れる豹(母虎) 当時、豹は雌の虎とされていたので、子虎と戯れる母虎の姿が豹として描かれています。
上神庫の「妻(つま)」に2頭の大きな象の彫刻がああります。迫力はありますが、どこか違和感がある象です。建立時に、狩野探幽(かのうたんゆう)が、象の実物を知らずに想像で彫刻の下絵として描いたとされ、「想像の象」と呼ばれています。特に左象の尻尾や右象の体型、左右の像の足の爪、耳の形状が異なるように思います。耳には金輪が付けてあります。 また、神庫とは祭具を入れる倉で、上中下の神庫のうち、上神庫は、もっとも重要な御神宝をしまっておくところで、『御宝蔵』とも呼ばれました。この「蔵」の語音から「象」が描かれたとも言われます。
しかし、上図は「想像で描かれた象」とのことですが、表門にある木鼻の象(左図)の顔と比べてあまり違和感はありません。耳の形状も似ています。木鼻の象の耳も想像で造られたのでしょうか。あるいは探幽が参考にしたのでしょうか。
象は仏教とも縁が深いので、仏教の伝来と共に「象」のことは知られていたと思われますが、江戸の庶民が実物を見たのはこの頃でしょう。
この項の写真及び説明は国立国会図書館デジタルコレクションから引用させていただきました。
インドゾウ 『[享保十四年渡来]象之図』川鰭実利画 写本 1軸
享保13年 (1728) 6月、将軍吉宗が注文した雌雄の子象が広南から長崎に到来しました。雌はまもなく長崎で死んでしまい、残った8歳の雄だけが長崎から徒歩の旅をして、翌14年に江戸まで連れてこられました。このスケッチは、その道中に京都で描かれた烏丸家蔵図の転写です。江戸到着後は浜御殿、のちには中野で飼われて、寛保2年 (1742) まで生存しました。
境内には象、獏、獅子をはじめ、多種類の木鼻があります。あまり知られていない動物の木鼻もあります。獏(ばく)の木鼻が比較的たくさんありますが、なぜ獏があるのでしょうか。また、象と獏はかなり似ています。どう違うのでしょうか。
獏(ばく)は、古代中国の想像上の動物で、身体は熊で、象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の脚をもつとされています。獏は、疫病や厄を避け、邪気を払い、凶夢を食うとされる上、鉄や銅を食料とするので、武器などに鉄が使われない平和な世にしか生きられない(現われない)瑞獣とされます。このことから、「縁起のよい霊獣」として寺社の木鼻などに数多く彫刻されています。
獏は人の悪夢を食べるとも伝わったことから、日本では、初夢で新年を占う風習と結びつき、良夢を見るため枕の下に敷いて寝る宝船絵の帆に「獏」の字が入れられました。
伽耶院(かやいん・兵庫県三木市志染町大谷) 秩父神社(埼玉県秩父市番場町1-3)
木鼻の象と獏は共に象鼻・牙をもつので一見似ています。象と獏を見較べてみます。
左の象は、耳が幅広で大きく、下に垂れています。脚足はありません。右の獏は、首の辺りに巻き毛があり、耳は小さく、虎脚があります。
参考:谷中の寺の象と獏の木鼻
象: 大円寺(東京都台東区谷中3-1-2) 獏: 興禅寺(東京都台東区谷中5-2-11)
- 日光東照宮 14の動物物語 上 1~4話(本稿)
- 日光東照宮 14の動物物語 中 5~9話 へ
- 日光東照宮 14の動物物語 下 10~14話 へ