昔から、 猿は、馬の病を治したり、 馬の世話をするなどといわれ、 馬の守り神とされています。印度から中国を経て日本に伝わった信仰とのことです。

猿が馬の守護神とされる由来について、日本では、①陰陽五行説では、馬は火、猿は水に相当するので、猿は(火災や病気から)馬を守る、と説明できるからとか、②天馬と人との仲を猿がとりもち、馬が病気になると猿が治したといった伝承に基づくものとする説など様々あるようです。

正月に猿回しに厩(うまや)の前で猿を舞わせたり、厩に猿を飼ったり、猿の頭骨や骨を吊るしたりして、牛馬の無事を願う習俗(厩猿信仰)もあったということです。

神の乗る馬である神馬(しんめ)を収納する、寒川神社の神馬舎日光東照宮の神厩(しんきゅう)にも、馬の無事と無病息災を祈って、猿の像がおかれ、猿の彫刻が配されています。また、勝馬神社では神馬の石像を石猿が曳き、八王子市長房町にある庚申塔の台石には猿が馬を曳く図が彫られています。

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寒川神社 馬の手綱を曳く猿

                                                                      神奈川県高座郡寒川町宮山3916

寒川神社は相模国一宮とされる古社で、源頼朝をはじめ北条、武田、徳川など武門武将の信仰が篤かった社です。

絵馬掛けのそばに神馬舎があり、猿が神馬の手綱を曳いている彫像が奉納されています。猿が馬の世話をしています。この彫像は、彩色木彫の第一人者、平野富山(ひらのふざん)師の手によるもので、昭和天皇ご在位50年記念に奉納されたものです

平野富山師作の猿と馬

 

 

 

 

 

 

 

 

  日光東照宮 厩(うまや)の長押に彫られた猿

                                                                                                    栃木県日光市山内2301

日光東照宮は、江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀っています。

神厩(しんきゅう)

東照宮には神馬を収納する「神厩」と呼ばれる厩舎(うまや)があります。寛永12年(1635)に建てられたもので境内で唯一の素木造りです。

その長押(なげし)には、馬の無事を願って、「馬を守護する」とされる猿の彫刻が施されています。

猿の彫刻は、幼時から、少・青年期を経て、結婚して、親となるまでの一生の流れを8面に分けて刻ったもので、人間の生涯を重ね合わせたものです。

 

 

猿の彫刻と白馬

長押に猿の彫刻がなされた厩舎の中には、現在でも白馬が午前10時から午後2時までの間つながれます。

初代の神馬は家康が関が原の戦いで乗ったとされる馬ですが、神馬は雄の白馬に限られるとのことです。厩内にある青銅製の飼葉桶には葵の紋が付けられています。

 

      

三猿(さんざる)の彫刻

長押の猿の彫刻8面の中の2番目の場面が有名な「三猿(さんざる)」です。

幼少期には、悪いことを見聞きしたり話したりしないで、良いことだけを学ぶようになさい、という教訓で、悪い知識や行動を身につけずに素直に育って欲しいとの親の願望を表わしているとのことです。

 

神馬の石像を曳く石猿

勝馬神社(大杉神社内) 茨城県敷島市阿波958

勝馬神社1勝馬神社: もと「馬櫪社」と称し、貞観4年(862)、国営牧場「信太馬牧」に祀られた馬体守護の古社。鎌倉時代に大杉神社境内に遷座され、春の大祭(駒牽祭)に催される競馬の馬場近辺に石祠として鎮座していた。後年すっかり忘れ去られていたが、平成14年(2002)、現在地に遷座されて「勝馬神社」と改称のうえ再建された。

 

勝馬神社の社祠(神厩)には、神馬の石像が納められていて、その神馬を、古来から馬の守り神とされる猿(石像)が手綱を持って曳いています。猿は「安馬(あんば)さま」と呼ばれています。社祠前の石造りの飼い葉桶の中には多数の蹄鉄が奉納されており、絵馬は競走馬の馬蹄を付けた馬蹄絵馬です。

勝馬神社2+3

 

青面金剛の笠付き庚申塔 三匹の猿が馬を曳く

      –安永7年(1778)建立– 八王子市長房町1582付近の路傍・岩船地蔵堂内

庚申塔の台石に彫られた三匹の猿は、右端が綱の先を持って先駆けし、中央が馬の手綱を曳き、左端が馬の尻を棒状のもので叩きながら追い立てています。「庚申の三猿」と「馬を守り世話をする猿」とを重ねた図となっています。(ちょっと見づらいですが、230年も前のものです)    クリック→拡大