日光東照宮 14の動物物語の「上」に引き続き 「中」 をご覧ください。

日光東照宮 14の動物物語 中 5~9話

 

5 神厩–馬を守り、世話をする猿

6 御水舎–飛龍(応龍)は最高位の龍

7 石柵–飛越えの獅子

8  陽明門–随身の尻に敷かれる虎

9 唐門–水を飲ませてもらえない牛

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5 神厩–馬を守り、世話をする猿

猿は馬を守護し世話をする

東照宮には神馬を収納する「神厩」と呼ばれる厩舎(うまや)があります。寛永12年(1635)に建てられたもので境内で唯一の素木造りで、その長押(なげし)には猿の彫刻が8面に亘って施されています。特に「三猿」だけが突出して有名ですが、本来、猿の彫刻が厩(うまや)にあることに意味があります。昔から「猿は、馬を守護し、馬の世話をする」とされていることから、猿を配置して馬の無事を願ったものです。

一般の農家でも、正月に猿回しに厩(うまや)の前で猿を舞わせたり、厩に猿を飼ったり、猿の頭骨や骨を吊るしたりして、牛馬の無事を願う習俗(厩猿信仰)もあったということです。

「神厩」の長押の猿の彫刻と神馬

5-1 神厩r02#

参考:下の写真 神馬を曳く(馬の世話をする)猿

  左 寒川神社(神奈川県寒川町)                右 勝馬神社(茨城県敷島市大杉神社内)

5-2 神馬を曳く猿r02

 

神厩の八面の猿の説明 (境内の案内より)

神厩の長押の8面の「猿の彫刻」は、幼時から、少・青年期を経て、結婚して、親となるまでの一生の流れを刻ったもので、人間の生涯を重ね合わせたものです。このうち、②が有名な三猿ですが、ここのはサンエンではなく「サンザル」と読むようです。なお、語呂から日本の図柄と思われがちですが、見ない・聞かない・言わないの三匹の猿の図柄は「Three wise monkeys」などと呼ばれて世界各地あるものです。

5-3 猿8面r02

①母猿が小猿の将来に思いをはせる。子は母を信頼して、顔を覗きこむ。 ②子供のうちは、悪いことを「見さる・言わざる・聞かざる」がよい。 ③ひとり立ち前の猿。まだ座っているが、飛躍を期す。 ④青雲の志を抱いて天を仰ぐ。 ⑤人生の崖っぷちにおいても、励ましてくれる仲間がいる。 ⑥恋に悩み、物思いにふける猿。 ⑦結婚した二匹の猿。力を合わせて人生の荒波を乗り越える。 ⑧妊娠した猿。やがて子がうまれ母になる。最初の場面に戻り、新たな人生が始まる。

 

 

6 御水舎–飛龍(応龍)は最高位の龍

飛龍

御水舎(おみずや)は寛永13年(1636年)創建の国指定重要文化財です。華麗な御水舎の唐破風に「飛龍」と呼ばれる龍の彫刻があります。貌(かお)は龍で体は翼をひろげた巨鳥のような姿形で、逆巻く水波の模様が添えられています。飛龍は応龍とも呼ばれ、特に羽があることから、龍の中でも最高位の龍とされています。

    御水舎(おみずや)の飛龍                                  和漢三才図会の応龍

6-1 飛龍=応龍r02#

6-2 日光手水舎の飛竜R02#

「飛龍」はまた別名を「応龍」といいます。和漢三才図会に本草綱目からの引用で、「恭丘山に應龍有り。應龍は翼有る龍なり。」とあり、上の写真上段右の「をうりやう・応龍」の図が載っています。また、応龍は尾で地面に文字を書き水難を防いだともあり、水を司る(治水の)霊獣とされています。添えられている水波の模様の由縁でしょう。

参考:秩父神社の飛龍(応龍

6-3 秩父神社の飛龍r02#

応龍(飛龍)は変幻

応龍は、「礼記」礼運篇で、四霊(四瑞)獣の一つとされています。 麒麟は信義、鳳凰は平安、霊亀は吉凶予知、応龍は変幻、を象徴するとされています。四霊獣は、瑞獣(縁起のよい獣)とされ、世の中が瑞気に満ちて、平和な時代のみに出現するとされました。

応龍(飛龍)は鱗蟲の長(王)

また、四霊獣は、古代中国の動物分類の長(王)とされました。応龍は鱗蟲(魚や蛇のように鱗を持つ生物)、麒麟は毛蟲(獣類のように毛を持つ生物)、鳳凰は羽蟲(鳥のように羽を持つ生物)、霊亀は甲蟲(甲殻類のように固い殻や甲羅を持つ生物)を統括する長(王)とされました。羽翼をもつ応龍は龍族の中で最高位の龍とされています。

四霊獣 (応龍は上図参照) 麒麟-大宰府天満宮 鳳凰-神田明神 霊亀-善養寺(世田谷区野毛)

6-4麒麟・鳳凰・霊亀r02

小蛇も三千年経つと応龍になる

なお、中国では小蛇が年経て龍になり、さらに年経た最高位の龍が「応龍」とされました。唐末の任昉(じんぼう)の『述異記』には「水にすむ虺(き)=蝮(まむし)又は小型の蛇は、五百年で蛟(みずち)となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で応龍となる」とあります。

 

7 石柵–飛越えの獅子

飛越えの獅子

7-1 飛び越えの獅子r02#r03#r02#

御水舎を過ぎて陽明門への石段を登ったところにある石柵に、柵にくっ付いて逆立ちをしているような石造の獅子があります。石柵と一体のもので備前産の花崗岩から彫りだしたもので、後から付けたものではありません。獅子は単なる石柵の飾りではなく、石柵を補助補強する脚柱の役割もしています。

『家光がこの獅子を見て「獅子はまるで塀を飛び越えているようだ。良く出来ている。」と褒めたので「恐悦至極に存じます。」と答えた』との伝承があり、この伝承から「飛越えの獅子」の名がついたということです。でも最近は「飛び込みの獅子」とも呼ばれているそうです。

 

8  陽明門–随身の尻に敷かれる虎

陽明門は、日光東照宮の象徴的建築で、寛永12年(1635)に建てられ国宝に指定されています。当時の最高峰の技術で彫られた508体もの像があり、極彩色で彩られていて、一日見ていても飽きないことから「日暮し門」とも呼ばれます。

随身像 陽明門の左右の随身像は虎の敷き物(虎皮)を敷いてその上に椅子を置いて座っています。尻の下に敷かれた虎の顔が随身の両足の間にあります。虎は、家康公の生まれ年の干支ですが、家康公の象徴ともされて、東照宮でも表門などに多数の彫像があります。

8-1 陽明門の随身r02#

尻に敷かれた虎

虎には敏感なはずの東照宮です。なぜ、このように、「虎(≒家康公)を尻に敷いている像」の設置が認められたのでしょうか。

しかも、トラの上に座る随身は、織田家の家紋、木瓜紋(もっこうもん)を付けた袴を着て弓矢を持つ武者です。なぜ、陽明門の随身が織田家の武者なのでしょうか。

どうも、不可解!な随身像です。

                  明智家の桔梗紋    随身像の紋    織田家の木瓜紋
                  kamonr02#

  随身像の紋は、明智家の桔梗(ききょう)紋との説もあるが、織田家の木瓜紋とみるのが妥当では?

 

 

9 唐門–水を飲ませてもらえない牛

唐門は拝殿、本殿に参拝する門で、全体が胡粉(ごふん)で白く塗られています。(参拝時は工事中) 唐破風(からはぶ)の「許由・巣父の図」の彫刻をはじめ、「舜帝朝見の儀」などたくさんの彫刻が施されています。

9-1 唐門(工事中)IMG_1439r40_edited-3 #

許由巣父図  きょゆうそうほず

許由(きょゆう)・巣父(そうほ)は、ともに古代中国の伝説的高士で、栄達(権力)を嫌い清廉をもって知られた人物です。

聖帝といわれた堯帝が、許由の人格の廉潔さを知って、許由に国(天子の位)を譲ることを申し出ました。すると、許由は「申し出を聞いただけで耳が汚れた」といって、頴川の流れで耳を洗いました。(下図の左部分参照)

ちょうどこのとき、巣父は川下で牛に川の水を飲ませようとしていたのですが、これを見聞きして「牛に(汚れた耳を洗った)汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と牛を連れて立ち去ったといいます。(下図の右部分参照)

「許由巣父図」 の情景は、狩野永徳筆と伝わる掛軸水墨画などにも見られるもので書画の題材として好まれ取り上げられました。

日光東照宮唐門の許由巣父図(彫刻)

9-2 唐門の許由・巣父IMG_1250rLR50r02#

参考:西本願寺唐門の許由・巣父の図(彫刻) 京都市下京区堀川通花屋町下ル

9-3 許由・巣父の図(西本願寺唐門)r02#

 

 

「日光東照宮の動物物語」と題して、計14話を下記の、上中下の3部に分けてご報告させて頂きます。